木下えつき (えつきのひとりごと)    
   
     

2008/ 4/27

早いですね〜。時の経つのは。ついこの間新年会で「おめでとうございます。」なん
て云ってたと思ったら、

桜の花も散り連休になろうとしています。

でも、まだ議長になってから1年が経過したわけではないんですね~。

町で会う人達に必ず云われる言葉が「忙しいでしょう。」です。

結構CATVテレビを見ているようです。毎週のように、顔を出しているようです。
ということは台東区はいろいろな行事があるんですね。

議長という職は台東区だけではとどまりません。議長会・競馬組合・清掃一部組合・
広域連合後期高齢者議会等々の会合があります。

そのほかにも、区市町村議長会・関東議長会・全国議長会もあります。

そのような会合は当然台東区から離れて会議が開かれます。中でも議長会等々で使わ
れるのが、水道橋にある区政会館です。

ここに働いている職員は、各区から派遣されている職員が多くをしめています。

そんな中に台東区から派遣されている職員がいるとホッとするものです。

4月の11日に、清掃一部組合で、世田谷清掃工場の落成式に行きました。

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落成式が終わり、清掃工場の視察のときに「台東区の木下議長ですか。?私は台東区
から派遣されているものですが、写真を撮らせていただきます。」

と声をかけられました。議長会のメンバーは知っていても、後の人達は知らない人達
です。

そんなときに声をかけられたので、時間をかけて清掃工場を視察できました。

 

2008/ 4/13

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最近、落語にこっています。移動中やチョッと時間があるときウオークマンで聴いています。

どうしても、子供の頃に聞いた落語から入るので、三遊亭金馬とか、園生とか志ん
生・三木助なんていうのを聞いています。

この間、三遊亭園生の「吉住万歳」という落語を聴いていました。

物語は、吉住万歳という人と、ある娘の物語です。

万歳がチョウッカイを出した娘が、万歳に恋焦がれて、吉原に身を沈めても尽くすと
いうような話です。

その中で、三遊亭園生がこんなことを言っていました。

昔は、いろいろな町に粋な名前がついていました。最近はそのような名前がなくな
り、台東区なんて野暮な名前があるんですね。

「下谷区」とか「浅草区」というような粋な名前がなくなって。」

な~るほど。そう云われてみればそうかもしれませんね。昔の人から見れば。

そんな折、「デン助」の復活公演が浅草公会堂で昼夜2興行で行われました。

浅草がんばる会の河野さんのお誘いで見に行ってきました。

子供の頃に、父に連れられて一回かな〜?見に行った記憶があります。あとは、テレ
ビで何回か見ました。

得意のキャラクターの人だというイメージです。

テレビでは、デン助劇場として、デン助のお芝居をやっていたのですが、劇場では、
芝居の前にいろいろな色物があったような記憶があります。

浅草公会堂のようにきれいな劇場ではなかったような記憶です。

もしかしたら、この時テレビの撮影が入っていたのかもしれません。舞台の袖で大き
く手を回すと拍手をしたような記憶です。「デン助」じゃないかも?

改めて見て各出し物がすばらしかったと思いました。下町にはこんなにすばらしい芸
を持っている人達がいるんだと再認識しました。

舞台が始まりデン助の登場です。だみ声でデン助のせりふが始まりました。

「やっぱり違うや」と初めは感じました。でも見ているうちに、デン助が生き返ったようでした。

浅草公会堂であのような拍手の渦を聞いた記憶も無く、他の劇場で聴いた拍手の音と
も違った熱い拍手をはじめて聞きました。

いや、どこかで聞いたことがある。そうだ、浅草の映画館で見た「フーテンの寅」の
映画が終わったときの拍手だ。

こんないい文化を持っている台東区(野暮ったい)に生まれ育ったことに誇りをもてる一日でした。

 

2008/ 4/ 5

桜の開花宣言から早いもので12日くらいが過ぎました。

台東区の行事の一つである「桜橋花祭り」まで、桜の花が持つかと心配していましたが、

何とか持ちました。

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第1回定例会も終わり議長としての対外的な仕事が増えると思っていたら、意外と暇
な時間が出来ています。

何でだろうと思ったら、この時期は選挙があったり議会人事がある時期なんですね。

議長任期が2年になったので今年は議会人事も無く春のおと連れを満喫しています。

忙しくて今までいじれなかった写真の整理などもしているとホームページにのせなく
てはならない写真が出てきました。

「あしあと」や「べスの部屋」などに写真を追加していますので見てみてください。

今日は、朝から隅田公園で行われている「桜橋花祭り」と下谷看護学校の入学式があります。

それが終われば、仕事が終わりです。母親が弟と一緒に粟野山荘に休養をとりに行き
ましたので今日明日と父親の介護です。

父親の介護といっても夕食時に晩酌のお付き合いをするぐらいですかね。

たまの休日に明日はなりそうです。

そうそう、最近落語にこり始めてCDの落語を聴いています。子供の頃よくラジオで
聞いていたのを思い出しています。

 

2008/ 3/30

第1回定例会が3月25日に終わりました。

翌日の26日〜28日まで、今まで懸案でした韓国の龍山区との交流を深めるために
区民クラブの仲間8人と韓国に行ってきました。

出発便が2時間遅れるというアクシデントに見舞われましたが、予定通り韓国龍山区
の議員の方々との交流が出来ました。

翌日から、国会議員選挙を控えている忙しい中、議長・副議長が見えて歓迎をしてく
れました。

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写真は、議長室において日本からのお土産を金議長さんにお渡ししているところで
す。

台東区は欧州やオーストラリアと、姉妹提携を結んでいますが、まだ、アジアの国と
はそこまで至っておりません。

前に「ひとりごと」に書きましたが、私たちの会派は近い国との姉妹提携に力を注い
でいます。

その意味において今回の韓国訪問は龍山区の現状と政治状況を確かめる必要に迫って
のものでした。

大統領選挙後国の地方に対する方針が大きく変わっているようです。

そして、この2年間の間に議員さんも大きく変わっていました。

会談中、龍山区の変貌を副議長さんからお聞きしました。その中で、新大統領になっ
てからこの区のおかれているところが、

ソウル市の中心的な位置になるような、再開発事業が着々と進められているとのこと
です。

特に湾岸整備やマンション建設に力を注ぎ近い将来日本と行き来するような船の港建
設も行われるそうです。

姉妹都市の締結についての考え方は、以前と異なり前からの台東区との交流を知る議
員さんが少なくなっていました。

しかし、国会議員選挙が終わった後に議会と行政の間で話し合いがもたれて、その話
し合いの結果によっては、

区長さんと議長さんが台東区に訪れるようになるかもしれません。

どちらにしても、新しい第一歩がスタートしたという感じを受けてきました。

 

2008/ 3/20

昔の写真を見ていました。そう2005年に韓国に視察に行ったときの写真が出て
きました。

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皆さんは良く分からないでしょうが、区民クラブが昔から韓国の龍山区と交流をして
いてその流れの中の視察です。

龍山区というと、イテオンという町の名前を言うとご存知の方がいるかもしれません
ね〜。

その折に、ソウル市に表敬訪問したときの写真です。

何故、ソウル市に言ったかというと、その2,3年前にソウルに行ったときに、高速
道路をぼっ壊してそこに昔の川を再現するという計画が進行している

という話を聞き、それが実現したら是非その現場を見てみたいという思いがあったか
らです。まさか、そのことが実現するなんて思ってもいませんでしたが、

みごと、それが実現したのです。

ただ、その現場を見るだけでは意味が無いと思い、昔から交流のあったソウル市議会
議員のミンさんに依頼して、それを実現に持っていったソウル市長との

会談の機会をつくって頂くように頼みました。その市議会議員のご尽力で、写真で見
てもらえば分かるようにソウル市長との会談の実現したのです。

ソウル市長と会って話をしているうちに、その人の魅力に引き込まれていった記憶が
蘇ってきました。

皆さん、もう一度この写真をよ~く見てください。どこかで見た人が写っているで
しょう。

区民クラブの議員の顔、区長の顔、一緒に参加した議員の顔。違います。

気がつきましたか?

そう、そうです。今回の韓国の大統領選挙で見事韓国の大統領になった人が一緒に
写っているでしょう。

よく、議員が海外に視察に行くと批判を受けます。「海外なんていって何のためにな
るんだ。」と。

もちろん、台東区のこれからの行政運営に役に立つための意義が一つはあります。も
う一つは、このような人との出会いです。

大統領になってから国の偉い人達が会いに行って新聞で取りざたされますが、そのは
るか前に私たちはあっているんです。

また、近い時期に観光に視察で行きます。その最大の目的は、長年交流をしている龍
山区と台東区の交流をより深くするのと同時に、

韓国の人達との交流を深めるのが大事な目的です。そしてこの交流が姉妹都市になれ
ばいいな~と思っています。

私にとっては議員生活の中で政治家としての記念になり一枚の写真です。

 

2008/ 3/15

久しぶりにベスの話しを書きたくなりました。 今日は一日時間があいたのでベスを
風呂に入れました。 私の体調が悪かったのでここ数カ月風呂に入れてなかっ
たので、風呂は真っ黒になりました。 でも気持ち良さそうに入っていました。最近
食事によるダイエットに成功して大分スマートになったんですよ。最近認知症の父が
家で転んで肋骨をおりました。「痛い、痛い」と言いながら、ベットで寝ているので
すが、ベスが部屋に来ると痛さを忘れてしまうのか、ベスの食事づくりに奮闘しま
す。今日も風呂に入った後ベスは 一階の自分の部屋に戻ったらその後を父が追っか
けて行き、餌をあたえていました。何なのでしょうかね。

 

2008/ 3/12

3月12日、荒川区の議長さんの好意により、舎人新線の試乗に行ってきました。

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日暮里駅から舎人まで片道約30分のモノレ=ル(古いかな)的な新線です。

以外と狭いのに驚きました。日暮里駅の3階か4階ぐらいの高さに駅があり、だいた
い全線そのくらいの高さを走っていると考えればいいでしょう。

別にここといった観光地があるわけではないのですが、通勤電車としての利用度はか
なり高いのではないかと思われます。

出発したときは何となくゆっくり目に感じていましたが徐々にスピ=ドがあがって来
ました。私の想像していた以上にスピ=ドカンがありました。

私自身があまり高いところが好きではないのでよけいそう感じたのかも知れません。

話によりますと3月の末に開通だそうです。新線の中でその時の議会の委員会の委員
長さんと副委員長さんが乗っていました。

反対運動が起こりこの新線が出来ないと思った時期が何回かあった。でもやっと出来
上がったよ。と話している姿に感動を覚えました。

2008/ 3/ 9

3月9日、海老名香葉子さんが主催で毎年東京大空襲の日に行われている、「時忘
れじの集いの会」に参加しました。

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上野の山に建てられた、母子像の前には全国から多くの人が集まり、63年前のあの
日の哀しみを思い起こしていました。

私は、戦争を知らない世代です。しかし、母から東京大空襲の話は聞いていました。

「時忘れじの集い」の席でも話しましたが、母が東京大空襲の時の話を私に初めてし
たのは、私が所帯を持った頃でした。

それだけ、母にとっては重く辛い話だったのでしょう。

空襲のとき台東区の千束にいた母親にとっては丁度成人式を迎えたころの話ですから
思い出すのもいやな話だったと思います。

海老名さんも、「ネーネー」という本に自分の体験を書いているようです。

実は、まだこの本を読んでいないので、このような抽象的な書き方になってしまいました。

幾つかの話が海老名さんの口から話されました。実にむごい話?いや哀しい話でした。

誰もが、「戦争なんかしてはいけない」といいます。

でも、世界を見渡すと戦争が起こっている。何なのでしょう。

「人と人が殺し合う」こんなことがあってはならないと誰もが思っている、なのに戦
争が起こる。

人間社会として永遠のテーマなのでしょうか?

 

2008/ 3/ 2

 

第1回定例会も特別委員会・常任委員会の審議も終わり、予算特別委員会にとこまを進めてまいりました。

第二副区長問題・吉原に計画されていた場外車券売り場設置の反対・賛成の陳情等々の結論も出されました。

第二副区長問題は、副区長の定数を2人にするという条例が企画総務委員会において可決されました。

また、場外車券売り場の陳情に対しては、場外車券売り場設置に賛成の陳情に対しては否決・

反対の陳情に対しては採択という結論に達しました。

当然最終日の本会議場において最終決定されますが常任委員会の結論はこのようになったのです。

一つの条例や陳情に対して、結論に到達するまでには紆余曲折がある場合があります。

今回のこの二つはまさしく紆余曲折があったものです。

さて、これから予算特別委員会が行われます。

来年度の台東区の進む方向が審議されるのです。

区議会議員の約半数の人が委員として任命されて予算審議に当たります。結構真剣に審議するんですよ。

でも、中にはただ数字だけ聞くという人がいるときもありますよ。

特に、定年退職を迎える管理職の人達にとっては最後の委員会になります。

この人達の答弁も楽しみですが、そんな洒落た質問を向ける委員さんが何人いるかな〜?

新年会も終わり飲む機会のほとんどなくなりました。体の体調を整える時期ですね。

 

2008/ 2/26

2月の中旬、そう11日過ぎごろから、新年会の日程とまったく違う方向の日程に変
わってきました。

前回の行動予定に書いたように、競馬組合の視察で京都競馬に行ってきました。

この視察の大きな意義は、大井競馬場のダートコースの改修にこれから使う予定の
チップがどのように使われているかでした。

残念なことに京都は大雪で競馬中止のため視察が出来ませんでしたが、翌日の練習セ
ンターではチップの使われ方がわかりました。

視察から帰ってきて、15日には写真で紹介しているように、国立西洋美術館の見学
会です。

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午前9時40分から、館長室に於いて青柳館長を初め甲野副館長そして、今日の説明
をしていただける東京理科大学准教授の山名先生と会談し、

その後、国立西洋美術館が何故フランスから世界遺産の推薦を受けたのかと、コル
ビュジエについての、そして西洋美術館の建物についての

説明を受けました。

世界遺産について、日本と大きく考え方が違うんだな〜と思いました。

私が考える世界遺産は、古くから守られてきた自然や建築物等々だと思っていまし
た。だから、建てられてまだ50年もたっていない建物が世界遺産に

推薦するなんて考えられませんでした。しかし、コルビュジエという建築家の実績を
説明されるとなるほどと思わざるをえないのです。

簡単に言えば、現在の団地の基本を創った人かな。

どちらにしても、これから世界遺産になるような運動展開が必要になってきますね。

そして日曜日、「木下えつき後援会連合会」主催の恒例の成田山初参りをバス2台で
行いました。

そして、19日から十二指腸のポリープの摘出手術です。前にも云ったことがあると
思いますが、十二指腸にポリープが見つかったのが

2年前でした。何回か、胃カメラで検査を重ねていましたが、医師の判断で摘出手術
に踏み切りました。

A病院のときは開腹手術しか方法が無いといわれB病院を紹介されました。

その病院ですと内視鏡による手術です。本人は寝ているまに内視鏡で切除してしまっ
たようなので、手術という感じはしていませんが、

医師いわく、だから怖いんですよ。食事療法、タバコ、お酒は気をつけてくださいで
すって。

今日で一週間禁煙中です。皆様のご協力をお願いいたします。

2008/ 2/11

今年に入ってから雪の日が多いいですね。2月3日の節分の日も雪でした。

今回の写真は、御行の松で行われた、節分の風景です。例年より人手が少なかったの
ですが、それでも写真の状況でした。

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つい先日テレビで定年を迎える人たちに仕事を斡旋するという詐欺事変の報道を見ま
した。

たしか、「幹部社員求む年齢問わず。」という新聞広告を掲載し、訪れた人に年収4
50万円くらいになる仕事だと言いながら

入会金のようなものを取ってだます手口のように報道されていました。

だまされた人がテレビのインタビューに答えていたのが、「定年退職して職業安定所
に行っても、仕事は、駐車場の管理とか

清掃の仕事くらいしかない。年収450万円は魅力ですよ。」と答えていました。

こんな社会になってしまったのかと心を痛めていた矢先、今度は、私が関係している
広域連合議会の中ではまったく逆の状況が現れてきました。

広域連合とは、区市町村が、一つの区や市町村で行うより幾つかの区市町村が一緒に
なり行ったほうが効率的なので広域の連合体として行うものです。

わかりやすく云えば、清掃事業などです。今回の後期高齢者保険制度もこの連合体で
行われています。

その組織は2部63人体制です。そこには、副管理者という役職の人がいます。ある
区の職員から副収入役になり、そして副管理者になりました。

この後期高齢者の条例では、月給804000円、2年任期で退職金もあります。

我が台東区では、職員の退職金は一度だけという原則に従い、事業団等々の役員の退
職金廃止しました。

それなのに、何でこのようなところで、このように高額な報酬と退職金が払われるの
か理解に苦しみます。

この例は、極端なのか知れませんが、現実です。

能力のある人がその能力にふさわしい報酬を撮るのは当たり前という論理があります
し、一般企業ではそのようになっています。

でも、一般企業のように営利目的なら、わからないではありませんが、公務員にその
優劣を付けられるでしょうか?

初めの人のように、詐欺に会う人とどう違うのでしょうか?定年退職者を多く排出し
ようとしている今、その人達の能力を活用することが出来ずに、

一部の人間だけいい思いをしているようなことでは、どうなってしまうのでしょう。

2月12日は後期高齢者の広域連合議会です。その議会において議員である私として
はこの問題について見解をただします。

しかし、基本的な問題は、定年対策の問題に尽きると思っています。

皆様は、どう思いますか?

 

2008/ 2/  4

節分の日に2年ぶりの大雪が東京を襲いました。

各神社や各町会では、豆まきや餅つきの準備で大わらわです。

そんななか、三ノ輪一丁目では持ちつき大会と、豆まきが行われました。

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普段なら、外で威勢のいい餅つきの声がこだまし、子供たちが列を成して餅をつく順
番を待つのに、

この日に限っては、写真のように町会事務所の中での餅つき大会です。

でも、主催者が心配するほど人の集まりは悪くなかったですよ。

さて、議長になって、新年会のシーズンの山場が過ぎました。

先輩の議長さんから新年会シーズンは大変だよと聞いていましたが、なるほど大変で
した。

でも不思議なことがあります。新年会に行くと、必ずいわれる言葉があります。

「忙しいでしょう。体に気をつけてください。」その後、「ま〜一杯。」変でしょ
う????

次に感じたことは、議長という立場の重要性です。

会の挨拶は区長に続いて挨拶があります。こんなに議会を住民の方達が重く見てくれ
ていたということです。

日頃の議会の活動を理解してくれているのかな〜と思います。

しかし、中にはまったく無視される会合もありますね。

 

2008/ 1/ 14

 

今日は、成人式です。午前11時浅草公会堂において、台東区の「新成人を祝う会」が行われました。

今年の新成人は男性656名、女性667名で合計1323名です。

公会堂につくと、例年のようにオレンジ通りに、あふれんばかりの人がいました。

思い起こすと40年前、私も成人式を迎えました。そのときの区長は、上条貢区長でした。

成人式の会場は台東体育館だったと記憶しています。

今思えば、町会連合会の順番で、成人代表を決めていたようで、男性の代表の順番が金杉町連に回ってきたのでしょう。

内の父が町会の役員をしていた関係で、成人代表の白羽の矢が私に立ちました。

その時代のことですから、本人の意思とは別に親の意思でレールが引かれたようなものです。

成人式に出る気もなかった私にとっては、式に出なくてはならない、壇上でしゃべらなくてはならないと、

とんでもない状況におかれました。

その上、台東区民新聞が取材に来るは、その記事が区民新聞に載るは、本当に困った記憶を思い起こします。

まだ学生だった私が、背広を着たのがこのときが初めてでした。

40年後に、まさか議長として逆の立場で成人式を向かえるとは、夢にも思っていませんでした。

今日の式典で、新成人を迎えた人たちが、司会をやり成人代表の言葉を述べている姿を見て、ふとこんなことを思い出しました。

場所も、服装も、人の考え方も違っているのでしょうが、私には40年前の私が、公会堂の客席で、早く終わらないかと

思って座っている姿があったのと、両親が心配してみている姿があるように思えました。

2008/ 1/ 12

 

早いもので、1月もなかばになろうとしています。

それにしても、各所で新年会がめじろ押しですね。

もう、中華料理は当分見たくもない状況に陥りつつあります。

つい先日、浅草地区で放火犯が捕まりました。

防犯カメラに写っていたのが逮捕のきっかけだったそうです。

しかし、一軒の放火の時には、夜中に不審な人物が歩いているという区民からの通報があったそうです。

どの放火も大事に至らなかったので良かったですね。

それにしても、私たちの住む台東区の自衛組織には頭が下がる思いです。

例年新年会に出ると各議員の方々が挨拶をされます。

大体がワンパターの挨拶なのですが、今年はちょっと違うようです。

これといった、テーマが無いからなのでしょうね。

さて、新年会に出発です。

 

2008/ 1/ 2

新年明けましておめでとうございます。

今年の正月は家族そろってビューホテルのバイキングで新年の初顔合わせです。

父が数年前に大病をしたので、毎年これが最後の家族全員の写真になるのではないか

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と撮り続けています。

私も、還暦を迎える年になり、特に昨年は身近な人の突然の死を経験し、人生の儚さ
を経験しました。

その経験を踏まえて、「人生くいなし」という気持ちになりました。

今日、ビューホテルのバイキングで、子供が駆け回っている姿を母親が見て、「お前
の小さいときの姿を思い起こすよ。

おちついて食事も出来なかったよ。何処え飛んでいってしまうかわからない子だった
から。」という言葉が印象的でした。

皆さんは、どんな正月を過ごしたのでしょうね?

さて、今年は、私の歳です。そうネズミ年です。昭和23年のネズミ年です。

ネズミは、ドブネズミもいれば、ハツカネズミもいれば、大黒ネズミもいます。

どのネズミにしても、どんな状況でも強く生き抜いて子孫を増やして増え続けます。

人に嫌われるドブネズミでも、強く生き抜く生命力はたいしたものです。

ハツカネズミは人の役になっています。皆さんもご存知のように、医療のモルモット
です。

大黒ネズミは、そう、大黒様のお使いとしてお金を蓄えるそうです。

私がどのネズミだかわからないけれど?????。

どちらにしても、「チュウチュウと、一歩一歩目立たないけれど何かが変わる。」そ
んな一年になるでしょう。

 

2007/12/29

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12月25日〜26日に姉妹都市である大崎市に行ってきました。
大崎市は、平成の大合併で、旧古川市や鳴子町等々と市町村合併して誕生した市です。
直線にして80キロもある市で、太平洋から、秋田県、山形県の県境に接するようになりました。
東北新幹線の古川駅を降りてから、まず市長に表敬訪問をして、写真にあるように大崎市議会議長の遠藤議長と、
合併後の大崎市の実情について話し合いを行いました。
幾つかの市と町が合併したのですからいろいろな問題点が起こっています。
一つの例とすると、水道料金の問題です。市と町の間では水道料金が異なります。
古川市と鳴子町では大きな違いがあるそうです。皆さんもご存知のように鳴子は温泉地です。
温泉の温度は60度だそうです。そのままではお客さんが温泉に入ることが出来ないので水により温度を下げます。
当然、水の使用量は大きいのです。合併した市町村の中では、破格の安さだそうです。
しかし、大崎市という市になれば当然水道料は一律になります。
そうなると、どうゆうことになるのかというと、一つの旅館の水道料が年間で、1000万円から1500万円アップすることになるのだそうです。
大変ですよね。これを段階的に行っていくのだそうです。
当然、鳴子町の町民からは、不平不満が噴出します。何のための合併なのか。
もう一つの大きな問題は病院です。各市町村には病院がありました。4つの病院と数箇所の診療施設です。
当然各市町村は市民の健康維持の面からも病院会計が赤字でも支えてきたのです。
しかし、一つの市となると4つの赤字病院を支えていくことは不可能です。
そこで病院の減らさなくてはなりません。この問題が来年度からの大きな問題として抱えているようです。
23区も区長会を中心に合併問題が検討されています。
大崎市との今回の話し合いが、これからの台東区に起こるであろう合併問題の時に大いに役に立つのだと、
私は思っています。
暮れの押し迫ったときに貴重な話し合いが出来たと思います。
遠藤議長さんお忙しい中を時間をつくっていただいたことに感謝申し上げます。

 

2007/12/28

 

今日で、役所の仕事は御用納めです。長い一年だったな〜という思いです。

体重が急に落ちてきて、みんなから癌だといわれながらも、病気の究明に紛争し、

パセドーシ病だとわかるまで約半年間。選挙を控えてこんな状態での出馬がいいのかと悩みながら、

もうもうとした日々を送っていた。去年の暮れ。病名が判明してから、出馬の決意をして、選挙に向かって走り始めた今年の正月。

ふと、走馬灯のように蘇ってきました。選挙で当選してから、議長という大役について、あれよあれよという間に、仕事納めの日を迎えた。

そんな感じの一年間でした。

忙しさという言葉にかまけて、なかなか出来なかったことを、残りの日々でやってみたいですね。

この一年間、えつきは何をやってきたのだろう?なんて考えるのもいいですね。

忙しさの中で話が出来なかった仲間と飲むのもいいですね。

皆さんも同じ気持ちかな〜?

自分を見つめなおす。簡単なようでなかなか出来ない。

今書いていることが毎年毎年繰り返されているんでしょうね。

何かわけのわからない「ひとりごと」です。

2007/12/21

来年の年賀状の写真が決まりました。急きょ家の前で撮りました。

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考えてみると、ベスと夫婦一緒の写真が無いのに気がついたからです。

デジカメを持って2人と1匹で散歩していても、何時も1人と1匹の写真でした。

前回の「ひとりごとで」浅田前助役と書いてしまいましたが浅津前助役の打ち間違い
です。お詫び申し上げます。

第4回定例会も無事終わり、来年の第1回定例会を残すところとなりました。

第1回定例会が終われば、1年間議長としての勤めを無事終了ということに今までは
なったのです。

しかし、今、議会から2年制を引いたので、やっと中間点にさしかかるんだという思
いです。

その意味からすると、来年の一年間は、2年制を引いた意味が問われる一年になりそ
うです。

何となく、思いついたままに書き綴っていますが、この数年を振り返りながら忘れて
いたものを取り返そうかな?なんて考えているんですよ。

来年は、ネズミ歳です。わたしも、ネズミですからとうとう還暦の歳を迎えることに
なりました。

あっという間ですね。年をとるということはこんなもんなんだな〜という思いです。

来年の抱負については次回の「ひとりごと」に書きます。書く予定です?

 

2007/12/16

 

何となく忙しさにかまけて、「ひとりごと」を更新しないで今日に至ってしまいました。

早いもので今年も残すところ15日となりました。

今年を振り返ってみれば波乱万丈な一年でした。

まず、昨年から悩んでいた、原因不明の病気がわかったところから一年が始まったのです。

パセドーシ病。甲状腺の病気です。原因がわかれば後は治療です。順調に治療の成果が出ています。

次に、選挙が行われました。寒いという印象が残る選挙でした。

病名がわかったので選挙に出る決心もつき、ひたすら勝つことに全力投球でした。

皆様の支援のおかげで見事に当選できました。

そして新議会が始まり、議長にならせていただきました。

議員木下えつきから、議長木下えつきに変わったのです。

話のは聞いていましたがこんなに忙しいものだとは思いませんでした。実感です。

悲しいこともありました。

議員の同期生で、仲間の要的な存在だった、金田議員の突然の訃報と、浅田前助役の訃報です。

お二人とも、亡くなられる数日前にお話をしていたので、ショックでした。

ご冥福をお祈りします。

我が家族をはじめ、地元の仲間たちから今年一番言われた言葉は、「忙しいんだね。テレビで見てるよ。」

です。驚きました。

来年はどんな年になるのでしょうね。

 

2007/10/27

 

決算特別委員会の総括も終わりました。

総括質問を聞いて驚いたことがあります。

総括質問中、私が前に取り上げた問題が他の議員から提案されたことです。

一つは、ドックランです。この問題は、選挙で訴えたので皆さんも良くご存知のことです。

もう一つは、地籍調査の問題です。これは、かなり専門性のある問題なのに良く調べて質問されていました。

最後の一つは、土曜日の開庁問題です。答弁がもっと驚きました。なんと、「出来るだけ早く実現したい。」でした。

質問者。良かったですね。

疑問に感じた質問もありました。??????????なんとそれは、自民党と民主党の大物議員から出た質問です。

両者とも、歯切れの悪い質問でしたが、「助役(現在では副区長)の二人制の必要性に対する質問でした。」

?????な、な、な、なんで。委員会の中でもまったく議論にならなかったのに?

私は、内山区長の提案で、二人助役制を行った経緯を目の当たりに見てきました。

そして、飯村区長時代に二人助役制を廃止する経緯も見てきました。

その総括として、この制度がいいとは感じていません。大物議員の投げかけなので、これからの議論になってくると思いますが、

なんで、この時期に急に出てきたのか理解できません。

不思議な出来事でした。

不思議な出来事というより困った出来事があります。

後期高齢者の問題です。参議院選挙以来この問題は右往左往しています。

皆様もご存知のようにこの制度は、法律により来年の4月から行われる制度です。

75歳以上の方は国民健康保険から後期高齢者保険制度の変わるというものです。

高齢者の医療費が膨らんできて、今の国民保険制度では若い人達の保険料が上がり精度が維持できない。という発想から行われています。

チョッと待てよ。ということは自分たちのことは自分たちでやれっていうことじゃないの。

若いときは、年寄りを大切に。年をとってきたら、若い人が大変だから。ふざけるんじゃないよ。

この制度のついてはいろいろありますが、今話したいのは、現状の話なのでこの辺にしておきます。

さて、現状は。法律は決まっています。しかし、自民公明の話では、一部凍結?期間延長?国の補助は?何を含むの?保険料は?

所帯で払うの?一人一人?この問題が出されては引っ込み、又出されては引っ込みです。

法律で決まったから、何とか制度を行わなくてはならない、なんていうことで進めているけれど、こんなんじゃ制度が実施されたら

めちゃくちゃですよ。ほとんどの国民が知らないのにこんな制度が行われたら、どうにもなりません。

すみやかに、凍結してじっくり中身を練って行うことを進言します。

上級官僚は、机の上で「こうしよう。あーしよう。」地方の職員は右に左に体と頭を使って飛び回っています。

上級官僚さん地方の職員がどんなことをやっているのか、足を使ってみたらどうですか?

皆さんが抱えている病気はいっぺんになおってしまい、心の病気という恐ろしい病気にかかりますよ。

 

2007/10/24

 

金田功さんを偲んで。

金田功さんが亡くなられました。区議会議員を勇退されて教育委員として第二の人生を歩もうとした矢先でした。

私と、金田さんというよりも、カネヤンとの出会いは、20数年前に私が区議会議員選挙に立候補しようとしたときからです。

そう、8人の侍の誕生のときです。(自分たちで勝手に思っているだけでしょうけれど。)

このとき、自民党では、事前ポスターを貼らないとの取り決めがなされていました。

しかし、新人には適用されないとの判断で一人の新人が事前ポスターを張ったのがそもそもの始まりです。

現在の自民党の控え室に呼ばれた私たちは、自民党の先輩議員から注意を受けました。

その帰り道、カネヤンが、「冗談じゃない。いいだろう勝負をしてやろうじゃないか。事前ポスターをやめよう。」

当然、自民系6人の選挙事情が違うのでそれを実行しえなかったのですが、私は賛同しました。

そして、全員当選。公明党の新人も含めて、8人の侍の誕生です。

議会というのは、同期に当選しますと、序列は歳の順番になります。

カネヤンが一番年上で、私とは11歳違いで、私がもちろん一番下です。

「議会を変えよう。」これが結束の命題でした。

みんなが考え、カネヤンが上と交渉する。これがパターンでした。

甲高い声で顔をいがぐりのようにして、交渉する。こんな状況を思い出します。

気が弱くそれを補うために何時も交渉の時には鎧兜を身に着けている。

年に4回程度8人の侍の会が開かれます。「11期会」です。

酒を飲みながら区政について語り明かします。当然、20年前は二次会三次会と飲み歩いたものです。

いろいろな話はあるのですが、この話は私の胸の奥にしまいます。

大谷ホールで、しめやかに通夜告別式が執り行なわれました。

真っ白の花祭壇に、カネヤンの写真が飾られていました。写真と花祭壇がまったく異質のように見えました。

「これは、カネヤンの葬儀ではない。まだ生きている。」こんな思いだったのでしょうか?

霊柩車に乗ってカネヤンが愛した区役所前に行き、区の職員が見送る中、霊柩車の警笛「ポーン」こんな音に聞こえました。

そして、町屋に向かっていきます。ふと、カネヤンの飲んだときの笑顔が、頭をよぎりました。

激論を交わしたこともあります。平坦な20年ではありませんでした。でも、今はすべてがいい思い出です。

自民党を愛し、深谷代議士を尊敬し、顔のわりには多くの人に愛されたカネヤンももういなくなりました。

そう、いなくなったのです。信じられないけれど、思い込まなくてはいけないのでしょう。

ゆっくり、お休みください。

 

2007/10/07

第三回定例会も、中間点にさしかかりました。

今定例会の特徴は、意見書提出の多さです。

阿部首相から福田首相に代わって新聞などで、方向転換の動きが見られるからです。

特に法改正により準備が進んでいる問題についての見直しの意見書です。

皆様にまだ見えない部分で今区議会は、東京都や国と戦いが始まっているのです。

後期高齢者問題、自立支援法問題等々です。

ここでこの問題について一つ一つ書いていたら、文章が長くなってしまいますので、この程度のしておきます。

台東区は、いろいろなイベントが多くあるのは皆様もご存知のことと思います。

私も、議長になって数多くのイベントに参加しています。

その折、よく皆様に言われるのが「テレビで見ます。」

そう云えば、忙しくてCATVを見ていないと思い、先週時間があいたときにCATVを見てみました。

ちょうど、夏休みの各町会や各団体の活動が放送されていました。

驚いたことに、私が参加したイベントはありませんでした。

本当にたくさんあるのですね。

先週は、タイ国の120周年交流事業の一環で上野動物園に行ってきました。

週学校以来かな?パンダ宿舎の隣にタイ国から寄贈された建物の落成です。

見事な建物ですよ。

上野の山も秋の文化シーズンに伴いいろいろな催し物が開催されます。

たまには時間をつくって上野の山散策もいいですね。

 

2007/09/24

暑さ寒さも彼岸まで。という言葉があります。議長になって、9月22日・23日・
24日と議長日程が入らなかったので、

久々の休日でした。我が家のべス君とお墓参りに行ってきました。

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べス君と遊ぶのも久しぶりです。木下家のお墓は、谷中霊園にあります。我が家から
歩いて往復で2時間強です。

べス君と歩くと、アッチへちょろちょろ、こっちへちょろちょろと歩くので3時間ぐ
らいになってしまいます。

三ノ輪を出発して、鶯谷の駅に向かいます。出だし好調。べス君も元気に出発です。

根岸の防災広場の近くまで行くと、角々の写生をして入る人達に遭遇しました。

何を描いているのかなと見てみると、古い一軒家をみんなで描いていました。

さて、鶯谷の坂を上ります。ベス君は、高架橋が苦手で、下に電車が通ると一目散に
走り始めます。

どんどん階段を上り順調に高架橋を渡り始めたら、山手線が通過です。べス君。ダッ
シュ。

渡り終わったところで、そう、ちょうど忍ヶ岡中学前あたりで、老夫婦から声をかけ
られました。

「まあ〜立派な犬ね。なんていう種類なの。」私の心の中では、「又太ってるって云
われちゃったよ」と思いながら、

「ミックスです。」おばあちゃんが「ミックスって?」「雑種ですよ。」「ああ、あ
あ」べス君は無視して歩き始めます。

さすがに山に登ると人と人です。寛永寺の前を通り過ぎて花屋さんに。

「お花とお線香ください。」「はい、2,500円です。」いい値段ですね。今日だ
けで何人ぐらい買うんだろうと計算。

お墓の前に着いたらベス君はペチャリと座り込みつかれたよという顔です。

お墓の掃除も終わりおまいりも済ませて、さあ出発。我が家に向かっての帰路です。

寛永寺坂を下りようとしたとき、「木下さん」あれ懐かしい人とご対面。

おりきってお行の松に向かうとまだ写生中。お行の松で一休みして、我が家に到着で
す。

ベス君も疲れたようだけれど私も疲れました。

たまにの休日です。これから一眠り

2007/09/16

 

9月14日に開かれた本会議において、区長より名誉区民として内山栄一前区長の提案がありました。

もちろん、議会としては全員一致で承認をいたしました。

思い起こせば、私が初当選し、最初の本会議の時に、簡単な答弁をする区長さんだな〜という印象でした。

そして、初質問のとき、私は、「浅草中心のイベント行政について」チョッと批判的な質問をしたのです。

そうしたら、簡単に「木下議員の地元でもイベントを企画してください。予算はつけますよ。」と

軽くいなされたのがいまだ尾を引いています。すごい区長さんなんだな〜。

予算委員会だか、決算委員会だか忘れましたが、「・・・・・とかをしていただきたい。」

という質問にも、「私はしたいのですが、後ろがさせてくれないんですよ。」と理事者に責任転嫁。

質問者は怒るでもなく、一本とられたという感じでしたね。

そのくせ、住民が反対運動を起こすと、真正面から立ち向かっていった。

そんな、内山前区長さんも95歳になられました。

聞くところによると、区長をおやめになるときに、「名誉区民に」という話があったのですが、

その時点では受けなかったそうです。

区政60周年の記念の年に、内山先生が名誉区民を受けられたのは、60周年に花を添えていただいたようなものですね。

何時までも、お元気で活躍されますように。

 

2007/09/ 4

デンマークのグラッズサックセ市に行ってきました。

皆様もご存知のように台東区とグラッズサックセ市は姉妹友好都市で、毎年台東区の
中学生がホームステーに行っています。

今回は、今年の10月に、グラッズサックセ市から台東区に商工の人や市長さんがみ
えるので、その打ち合わせと、

台東区からホームステーに行っている子供たちが、ホームステー家族のお礼の会に参
加するために行きました。

成田からパリに行き、そこから飛行機を乗り換えて、デンマーク入りです。所要時間
は20時間弱です。

デンマークについたのは、夜遅いためその日は、ホテルに入ってそのまま就眠です。

翌朝、グラッズサクッセ市を訪問して、夕方からお礼のパーテーに参加しました。

子供たちは実に元気そうで、ホームステー家族とも溶け込んだ様子です。

お世話になった家族と子供たちが総勢80名くらいの大パーテーです。

最初に、私からグラッズサックセ市の皆様にお礼の挨拶を行い、日本大使補佐官がお
見えでしたので、ご挨拶をいただきました。

又、副市長さんやグラッズサクッセ市の学校の校長先生の挨拶や、こちらから引率し
て行った校長先生の挨拶やらで、

乾杯までなんと1時間以上かかってしまいました。

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写真は、私から副市長さんへの台東区からのお礼をこめたお土産の贈呈式です。

乾杯が終わり各テーブルごとに料理も運ばれ和気藹々の話が進み、台東区の子供たち
から各家族にお礼の歌が披露されました。

又、半纏を着て「そおらん踊り」をみんなで踊って見せていました。英語でのスピー
チも大したものでしたよ。

パーテーは大盛況でした。名残惜しそうに各家族と別れを惜しむ姿が印象的でした。

私も、議員になる前にマンリー市に行ってホームステーをした経験がありますが、そ
のときのことを思い出しました。

私の議員生活の中で、思い出に残る一夜になりました。

 

2007/08/11

夏に入ると台東区はいろいろな行事がいたるところで行われる。

その皮切りに行われるのが、朝顔市と七夕祭りだと思います。

今年の七夕祭りは、写真にもあるように頭のはしごのりから始まりました。

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上野学園から浅草の今半まで鼓笛隊を先頭に歩いていきます。

沿道には各町会やいろいろな団体が模擬店を出しています。

焼きそばや、フランクフルト、ビールや、カキ氷、まるで子供の時に見た縁日のようです。

縁日と言うと私のイメージでは、おとり様ですかね。でも、おとり様は冬ですよね。

暗くなった道に、裸電球で照らされた屋台と言うのも味があっていいものです。

先日「古川祭り」に行ってきました。平成の大合併で古川市から大崎市に変わりました。

何時も行われていた花火をやめて、市民祭りの様相を色濃くしたお祭りでした。

市議会議員の皆さんも連を組んで町の目抜き通りを踊っていましたよ。汗びっしょりになって。

驚いたことに若い人達が家族ずれで歩いている姿が印象的でした。

東京の祭りと違って、東北の祭りは何となく哀愁があるんですよ。

短い夏を惜しむかのような。

街にはその街の人達が養ってきた町の味って言うようなものがあるように感じ始めています。

それを感じるのは歳を取ったせいですかね。

 

2007/07/29

 

東区の夏の風物詩である花火を終わりました。

年をとったせいか、パンパンパンパンと言う花火よりも、ド〜ンヒュルヒュルという花火のほうが

いいように感じました。わかるかな〜?

それにしても人出はすごかったですね。新聞によると98万人の人出だったそうです。

地元でも花火が見えるので始まると同時に地元三ノ輪に戻って我が家で着替えをしようと戻ってみたら、

我が家に横の通りに黒山の人だかりでした。

ビルとビルの合間から花火が見えるのですね。隣のスーパーもチャッカリ。氷を売るや焼き鳥を売るや、

缶ビールを冷やして売るや。売れ行きは好調のようでした。

さすが下町ですね。

えつきの行動予定に書きましたが、来週は姉妹友好都市の訪問が2箇所あります。

長野県の諏訪市と、宮城県の大崎市です。

平成の大合併で合併した市としない市です。

両方の議長さんと前に話をしたことがありますが、両市ともそれぞれの悩みを抱えているようです。

東京浮遊論のパッシングが地方から徐々に起こりつつある現状を見ると、いつか近い将来我が台東区に

合区の問題が吹き荒れそうです。

その時、私たちはどのような選択をしなければいけないのか両市で学んで来たいと思っています

 

2007/07/14

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選挙公約である、「ドックラン」 を進めようとするとこれがなかなかうまくいきません。

この前も、「ドックラン」について抗議の手紙が来ました。

その内容は、犬を飼っている人や猫を飼っている人のマナーの問題です。

確かに、マナーの悪い人がいることは事実ですし、そのために多くの人達が迷惑を感

じているのも事実です。

しかし、その人達にマナーの向上をはかる場所がないのも現状です。

朝、犬の散歩をしていると、いろいろな人と出会います。特に増えたのが犬の散歩を

している人と歩いている人です。

私の出会う人達は、必ず犬の糞の処理をしています。なのに糞が落ちているのも現状です。

たまに、猫のえさか鳥のえさを自転車の後ろに乗せて回っている人に出会うときもあります。

注意をしようとすると自転車でスーと行ってしまうので追いつきません。

犬も、猫も迷惑な動物なのでしょうか?マナーの悪い飼い主が迷惑なので犬や猫には

関係ない話でしょう。

でも、皆さんには「ドックラン」は迷惑施設のようです。

何か、世の中チョッと考え方が違ってきているような気がします。それとも、私の考

え方がおかしいのでしょうか?

いろいろな商業施設に「ドックラン」が併設されるようになって来ました。この現象

はどのような意味を含んでいるのでしょうね。

自然との共生難しい問題ですね。

 

2007/06/29

 

「もしかして?」

どこの総会でもあることですが、区長・議長は、総会の席に呼ばれるのではなく、

総会後の懇親会に呼ばれるようです。

懇親会の席に着くと、まず、区長が挨拶をして、その後に議長が挨拶をするというのが定例のようです。

挨拶が終われ、乾杯に進むと、主催者の方や地元の方が、「今日はお忙しいところご参加くださいましてありがとうございます。

まあ〜いっぱい。」こんな挨拶が行われます。その席で初めての人に会うと、名刺交換ぐらいするのです。

チュッとひがみ目に見ると、区長に対しては心から。議長に対してはついでかな???

でも、これが下町の挨拶なんでしょう。

しかし、こんなことが「非行のない明るい街づくり下谷連絡協議会」の懇親会でありました。

いつものように、区長の挨拶、議長の挨拶が終わり乾杯に進み、下町の挨拶が始まった頃、

区長と私の席の前に(前にと書くとすぐ前のように感じますが、宴会席の料理が並んでいる反対側)

一人の、「男の人が遅れちゃった。会議が長引いて。」とどかっと座り、まずビールを一杯。

その後、左隣にいる校長とべちゃくちゃ。その右隣には主催者側の副会長がいるのに、挨拶もせずにべちゃくちゃ。

区長を見ても、私を見ても会釈すらしないで、べちゃくちゃ。

え〜。もしかしてどっかの学校の校長かな?

まさか、挨拶運動を展開している学校の校長がそんなことするわけないよね。

区民でしょう。でも私は見たこともない人です。下町に人はそんな人はいないよ。

そんなことを、心に思いながら、次の会場に行きました。

「もしかして?その人が校長先生で、教師の海外派遣に選ばれていたりして???」

 

2007/06/12

 

永寿病院にある緩和ケアーに行ってきました。

私の知り合いが入っているからです。

病院に行く前は「どうしようかな?」の自問自答です。

心を決めたのが、・・・さんが木下さんにあいたいって言ってたよ。の一言です。

病院のエレベーターのボタンの9階を病室の前に立ちました。

まだ、心には迷いがあります。

「・・・さん。木下です。」「ハーイ。どうぞ。」思ったより元気な声でした。

個室のベットに寄りかかったような状態で、弟さんと話をしていました。

弟さんに、「木下さん」と紹介をしてから、「こんないい場所があったなんて知らなかったよ。」

あまりの言葉にびっくり。「いかがですか?」と言うのが目いっぱいです。

「チョッと高いけれど、こんな施設をつくってくれてありがとう。」

「一人暮らしの私が、そんなに贅沢にお金を使ったんじゃないから、お金があるうちはここにいるんだ。」

「みんな親切でさ。昨日も3人がかりでお風呂に入れてくれたんだよ。」

「好きなものも、すぐにとは行かないけれど、食べさせてくれるんだよ。昨日もてんぷらを食べたんだよ。」

「この施設は、区も何か支援しているのかね。」

「ええ。支援していますよ。」

弟さんが、ここにはってある写真。と指を刺して。「看護婦さんが貼ってくれたんですよ。」

その指の先には、お孫さんの写真が貼られていました。

「・・・さん。働きづめだったもんね。」

「そうだよ、こんなに至れり尽くしなんて初めてだよ。上げ膳据え膳だよ。」

「姉がね、今日は中落ちでワインでいっぱいって言ってんですよ。いいワインがないんで後で買いに行こうかと思っているんです。」

「私はね、マグロの中落ちが好きなんだよ。」

「そうですか?それは楽しみですね。」

「あまり長居をすると疲れるといけないのでこの辺で失礼します。

「そう。お世話になりました。」この言葉で病室を後にしました。

そう。お世話になりました。最後の言葉です。

 

 

2007/06/05

 

第二回定例会が始まりました。

区長の政策的な予算が補正予算として出されます。

昨日は、本会議場で区長の所信表明演説が行われました。

聞いた感想ですが、この4年間台東区がどの方向に向かっていくのかを示してほしかったかな。

それにしても、驚きですね。当初は補正予算額が10億円程度だったと思っていましたが、

なんとなんと、18億円ですよ。税収が良くなっているんですね。

これからの審議が楽しみです

 

2007/05/29

 

議長に就任してから2週間があっという間に過ぎてしまいました。

まだ、日程をこなすのに精いっぱいという感じです。

特に、総会のシーズンですので台東区にこんなに団体があるのかと思い知らされています。

今までだったら、呼ばれた会で紹介だけですんでいたのに、議長になるとほとんど挨拶をすることになります。

意外と神経を使うものですよ。皆さんにはそう見えないかもしれませんが。

台東区の人は本当に心が優しいと感じます。いろんな会合でいろいろな人と会いますが、

皆さん自分のことのように喜んでくれます。

これが下町の人情なのですね。

 

2007/05/20

月15日の臨時議会において議長になりました。

長年の皆様のご支援に感謝申し上げるとともに、当日、28人の各会派の皆様に御礼
申し上げます。

議長の選出方法は、本会議場における各議員の投票によって選出さてます。

今回、共産党を除いた28人の各会派の議員さんが私の投票していただきました。

議長には私がなり、副議長には太田議員が、そして監査には和泉議員がなりました。

皆様のご期待に恥じることなくこの重責を全うしていく所存ですので皆様のご支援を
よろしくお願いいたします。

さて、話は変わりますが、5月18日〜19日に下田に行ってきました。

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別に、議長としての公務ではなく、議員としての調査活動です。

テーマは、「市民祭りと姉妹都市交流のあり方。」です。残念なことに3日間の「黒
船祭り」でしたが、2日しか調査する時間がとりませんでした。

「黒船祭り」は今回で68回を迎えます。当然観光地ですのでお客様の集客を一番に
考えているのだと思いました。

実際に行ってみると、そこにはちょっと違う光景が私には感じられたのです。

それは、その祭りに対する市民の誇りです。歴史を生かし、その歴史を大切にした市
民の交流が原点にあるように感じました。

とかく、観光事業に走りがちなイベントなのですが、原点がしっかりしているいイベ
ントだから市民祭りなのでしょうね。

それが、観光の集客につながって行く。そんな市民祭りを台東区も考えていけばいい
ですね。

2007/04/30

我が家から歩いて15分ぐらいの東日暮里に大滝の藤と言う名前がついた藤の木が
あります。

数年前に、新聞で見てからこの時期になると朝のべスの散歩のときに見に行きます。

写真で見てわかるように、赤い建物の軒に植わっている、言えば個人所有の藤の木で
す。

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今日の東京新聞にこの藤の木の話が載っていました。

今まで、個人が管理をしていて、今年いっぱいで個人の管理が限界になりこの藤の木
を切るように申し入れがあったそうです。

地元町会がこの話を聞いて、荒川区に陳情を出したそうです。

地元の存続会の会場に区長が見えて、荒川区で管理を行うと言うことに即決したそう
です。

新聞に載るまで毎年見られるのが当たり前のように思っていた私としては、何となく
恥ずかしい思いをしています。

でも、これからもこの時期になったら大滝の藤が見られるのはうれしいことです。

チョッとわかりにくいところにありますが、探して見にいったらいかがですか。

 

2007/04/21

4月13日。上野の桜も葉桜になった時、30年来の友人が、葉桜の下で亡くなりま
した。

朝車で仕事に向かって、寛永寺坂をのぼろ切った所で、車を止め、葉桜の下で休んで
いたようです。

その場所が、彼の終焉のところになりました。まだ、58歳になったばかりです。

今回の選挙で、私の設営隊長として活躍されました。選挙報告のだるまの目入れ式で
だるまを持っている人です。

彼は、6年前に奥さんを癌でなくし、その後お医者さんに対する不信感を常に訴えて
いました。

血圧が高く、血圧を下げる薬を服用していましたが、2年前よりその薬も飲まなくな
りました。

私が、激やせしたときも、私の体を心配してくれました。インターネットでいろいろ
調べてこんな自然療法があるといっていました。

「体を気をつけるよ」「お前こそ医者に行ったほうがいいよ」こんな会話が常日頃の
二人の会話です。

前区長の飯村さんの青年部であったのが最初の出会いです。頑固なところがあり若い
ときは激論を交わしたこともあります。

朝、元気で家を出て行った人が、帰らぬ人になってしまうなんて、無常を感じます。

彼のご冥福をお祈りします。

2007/03/31

今日で3月も終わり、いよいよ明日から新年度の変わります。

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上野の山の桜も満開です。

このような時期には、思いもかけぬことが起こるもんですね。
新台東病院の誘致から建設に尽力した某課長が痴漢容疑で警察に捕まりました。
お酒を飲んでの帰りの通勤電車でのことです。
新年度から今までの実績を生かして新台東病院の中身について固めていくのに最適任者です。
何でこのようなことがおきてしまったのかわかりません。
春の妖気に惑わされてしまったのでしょうか。
この事についてある若い人達と話し合いをしました。
私は、「ふとしたことで起こったんだから、何とかこの人に再起の道を与えてもいいのじゃないか。」
ある女性は、「たまたま今回発覚しただけで、今までだってあったかもしれないよ。こんなことをする人は、人間とし
て失格でしょう。」
ある男性は、「どうせ首にはならないのでしょう。行政は職員に甘いんだから。」
厳しい意見が大半でした。でも、あの優秀な人材を失うことは本当に残念で仕方ありません。
桜に花が満開になると同時に新人事で動き始めようとした矢先、何故何故という思いが心に充満しています。

 

 

2007/03/27

選挙も終わり、事務所の後片付けも終わりました。

べスくんと、我が家の裏にある桜並木を朝の散歩です。

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選挙中は選車に乗ったり、歩いたりとベスくんと散歩する時間も取れませんでした。

家に帰ると大きな体を擦り寄らせて、私に寂しそうな目を向けていたベスくんです。

まだ、桜も三分咲き程度ですが、久しぶりの私との散歩で大きな体をのしのしと威
張って歩いています。

さて、私は、「ドックラン」を台東区につくろうと主張してきました。

私の考えている候補地は、上野公園か隅田公園です。

本会議、総括質問で「ドックラン」について質問をしています。その答弁は前向きで
すが、実際は近隣の理解が必要と言うものです。

東京都も近隣の理解が求められるなら、都立公園に「ドックラン」をつくるといって
います。

では、都立後援の上野公園はどうでしょう。公園内に誰が住んでいるのでしょう?近
隣住民とは誰なのでしょう?

やる気になれば必ず出来ます。みんなが「ドックラン」の必要性を訴えないからで
しょう。

その、先立つを今回の選挙で私がしました。みんなで「ドックラン」の必要性を訴え
ましょう。

もちろん私も議会でがんばります。

 

 

2007/03/24

 

台東区議会選挙の結果はもう皆様もご承知だと思います。

しかし、区長選挙と区議会議員選挙を同日に行ったため、区長は当選と同時に区長職になりますが、

区議会議員は、4月末日まで前のままで行われます。

つまり、今回の選挙で当選しても、4月末日が過ぎるまで、議員ではないと言うことです。

さて、今区役所は一つの問題が関心を集めています。

区長選挙で勝った区長が、副区長を誰にするかです。

これからの4年間、区長の補佐役として誰を指名するのでしょう?

副区長候補者は、選挙の開票日のような心境でしょうね。

 

2007/02/18

 

木下事務所が完成したので、べスくんが初めての訪問です。

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「ドックラン」がないので、事務所内はベスくんのドックランでした。

初めての場所のときは何時も同じですが、いろいろなところに恐る恐る行って、そこの匂いをかいで来て

すぐ私の元に来る。又他の場所へと。この写真を見ても、何となく不安な目でしょう。

さて、今回の選挙の私の公約の中に「ドックラン」をつくろう、と言うのがあります。

台東区議会で、区長に質問したのは私だけです。

区議会の反応も、「ドックラン」に対して冷たいものです。

「木下は犬を飼っているから、ほしいんだろう。」「こんな時期のドックラン?目が点になってしまう」

散々なもんです。議会の限らず、行政の中にも同じような考えの人が多いいようです
し、町を代表する町会長の中にも、

同じ考えの人が多いいようです。

でも、チョッと待ってください。町の公園に行くと犬と一緒に散歩している人の数の多いいこと。

「ドックラン」は、単に犬が好きな人犬を自由に遊ばさせるだけではないのですよ。

その場所において、友人の輪が広まります。一人暮らしで犬との会話だけで生きている人。

たくさんいるんですよ。公園で犬を通して人と話をするだけの人。

もう一つの理由は、街のイメージアップです。

これは、皆さんが考えているより大きいことなんです。

どちらにしても、私の訴えが皆さんに届いて、当選することが出来たら、今まで批判
的だった人の考え方も変わるでしょう。

それが選挙です。

 

2007/02/09

 

2月4日(日)に、三ノ輪一丁目で餅つき大会が行われました。

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前回の「ひとりごと」で書いたように私達の住んでいる台東区は、文化と伝統を大切
にしているんだな〜と感じます。

ここに参加している子供たちの何人がこの町で一生を送るのか?又、他のところに
いった子供たちが、

その町で伝統を引きついてくれるのか?そんなことをふと感じてしまいました。

話は変わりますが、2月8日で、区長の任期が終了しました。

これから、選挙が終わるまで、区長不在で、助役が代行していきます。

この4年間の区長の評価はいろいろあると思いますが、私は、飯村区長のやり残した
施策を継承したと考えています。

区長の最後の所信表明演説でも、自分の実績のように、一葉記念館や新台東病院、長
期総合計画等々言いましたが、

飯村区政の時にレールが引かれたものばかりでした。前区長の継承をするということ
は大変なことです。

どうして胸を張ってそのことを云わないのかな〜?????。

一般質問で「区民クラブが現区長の政策に反対をしないで何故区長候補を樹立したの
か?」と言う批判演説がありました。

先にも書きましたが、私は、飯村区政を批判することは無いのです。

そんなことがわかっていながら、自分の会派で区長候補を樹立しているのに、その政
策で区長と渡り合える時間を、

批判演説に費やしてしまう政治家としての資質に疑問を感じました。

どちらにしても、第1回定例会は予算審議を含んで開会されたばかりです。

選挙という重い十字架を背負いながらも、この定例会をがんばらなくては。

 

2007/02/03

 

私達の住む台東区には昔からの行事が当たり前のように行われています。
この写真は、2月3日の節分の時に撮った写真です。


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三島神社で行われた、節分際です。
「福は内、福は内、鬼は外」大きな声で各町会の年男、年女が豆をまきます。
下には、その豆を拾おうと多くの子供が、紙袋などを持ってきて集まります。
わが町の神社のいたるところでこのような風景が見られるのです。
自助共助が出来ている町。人の心が通じ合っている町。
こんな町を大切にしていかないと。と思う気持ちが大切なんですね。
この気持ちが、段々わが町からなくなっていきそうですよ。

 

 

2007/02/03

 

三ノ輪から言問い通りまでの国際通りに、一葉桜を植えようと言う私の提案の

「一葉桜道しるべ事業」の第一歩が、形として現れるようになりました。

皆様もご存知のように区道には、一葉桜が植えられています。

しかし、国際通りは都道なので、せっかく区道に植えられた一葉桜並木も、

大きな通りに来る前で止まってしまいます。これでは、三ノ輪から一葉記念館。

浅草から一葉記念館に続く道の道しるべにはなりません。

だから、都道である国際通りに一葉桜を植えることが大事なのです。

話が、必要性の方向にいってしまいましたが、その第一歩とは?????

日比谷線三ノ輪駅の明治通りに、大関横丁という交差点があります。

その四つ角に、一葉桜を植えようというものです。

駅からおりてきて、一葉記念館に行こうとする人に、「こっちですよ。」と教える

道しるべです。

この場所は、国道です。国土交通省に何度か足を運び、話し合いを重ねた結果ついに実現することになりました。

たった二本の一葉桜ですが、これがきっかけになって次の段階に進んで行くのでしょう。

今日は本会議でした。理事者から今定例会の議案説明と区長の所信表明です。

区長の所信表明演説を聞いてチョッと残念な思いがしました。

前段から私はこんなことをしました。そしてこれからこんなことをします。

何々、所信表明じゃなくて、選挙演説??????。

選挙が近いから仕方ないのでしょうね。

朝、区役所に行くと何となくざわざわした感じがしました。

なんなのだろうと思っていたら、今日の一時ごろに右翼の街宣車が来て演説をするらしい。

噂では聞いていたけれど、某区長候補に対しての非難演説のようです。

選挙が近くなるといろいろなことが起こりますね。

 

2007/01/28

新年会もボチボチ終わりになってきました。

我が、台東区は23区中新年会の多いいのでは郡を抜いています。

それが、下町の良さだと私は思っています。

先日、「手をつなぐ親の会」の新年会にお邪魔しました。

他の新年会と同様に、会長の挨拶から始まって、来賓の挨拶へと移りました。

来賓の挨拶に立った中山前衆議院議員が、