2007年迄   木下えつき (えつきのひとりごと)      
           
     

2007/12/29

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12月25日〜26日に姉妹都市である大崎市に行ってきました。
大崎市は、平成の大合併で、旧古川市や鳴子町等々と市町村合併して誕生した市です。
直線にして80キロもある市で、太平洋から、秋田県、山形県の県境に接するようになりました。
東北新幹線の古川駅を降りてから、まず市長に表敬訪問をして、写真にあるように大崎市議会議長の遠藤議長と、
合併後の大崎市の実情について話し合いを行いました。
幾つかの市と町が合併したのですからいろいろな問題点が起こっています。
一つの例とすると、水道料金の問題です。市と町の間では水道料金が異なります。
古川市と鳴子町では大きな違いがあるそうです。皆さんもご存知のように鳴子は温泉地です。
温泉の温度は60度だそうです。そのままではお客さんが温泉に入ることが出来ないので水により温度を下げます。
当然、水の使用量は大きいのです。合併した市町村の中では、破格の安さだそうです。
しかし、大崎市という市になれば当然水道料は一律になります。
そうなると、どうゆうことになるのかというと、一つの旅館の水道料が年間で、1000万円から1500万円アップすることになるのだそうです。
大変ですよね。これを段階的に行っていくのだそうです。
当然、鳴子町の町民からは、不平不満が噴出します。何のための合併なのか。
もう一つの大きな問題は病院です。各市町村には病院がありました。4つの病院と数箇所の診療施設です。
当然各市町村は市民の健康維持の面からも病院会計が赤字でも支えてきたのです。
しかし、一つの市となると4つの赤字病院を支えていくことは不可能です。
そこで病院の減らさなくてはなりません。この問題が来年度からの大きな問題として抱えているようです。
23区も区長会を中心に合併問題が検討されています。
大崎市との今回の話し合いが、これからの台東区に起こるであろう合併問題の時に大いに役に立つのだと、
私は思っています。
暮れの押し迫ったときに貴重な話し合いが出来たと思います。
遠藤議長さんお忙しい中を時間をつくっていただいたことに感謝申し上げます。

 

2007/12/28

 

今日で、役所の仕事は御用納めです。長い一年だったな〜という思いです。

体重が急に落ちてきて、みんなから癌だといわれながらも、病気の究明に紛争し、

パセドーシ病だとわかるまで約半年間。選挙を控えてこんな状態での出馬がいいのかと悩みながら、

もうもうとした日々を送っていた。去年の暮れ。病名が判明してから、出馬の決意をして、選挙に向かって走り始めた今年の正月。

ふと、走馬灯のように蘇ってきました。選挙で当選してから、議長という大役について、あれよあれよという間に、仕事納めの日を迎えた。

そんな感じの一年間でした。

忙しさという言葉にかまけて、なかなか出来なかったことを、残りの日々でやってみたいですね。

この一年間、えつきは何をやってきたのだろう?なんて考えるのもいいですね。

忙しさの中で話が出来なかった仲間と飲むのもいいですね。

皆さんも同じ気持ちかな〜?

自分を見つめなおす。簡単なようでなかなか出来ない。

今書いていることが毎年毎年繰り返されているんでしょうね。

何かわけのわからない「ひとりごと」です。

2007/12/21

来年の年賀状の写真が決まりました。急きょ家の前で撮りました。

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考えてみると、ベスと夫婦一緒の写真が無いのに気がついたからです。

デジカメを持って2人と1匹で散歩していても、何時も1人と1匹の写真でした。

前回の「ひとりごとで」浅田前助役と書いてしまいましたが浅津前助役の打ち間違い
です。お詫び申し上げます。

第4回定例会も無事終わり、来年の第1回定例会を残すところとなりました。

第1回定例会が終われば、1年間議長としての勤めを無事終了ということに今までは
なったのです。

しかし、今、議会から2年制を引いたので、やっと中間点にさしかかるんだという思
いです。

その意味からすると、来年の一年間は、2年制を引いた意味が問われる一年になりそ
うです。

何となく、思いついたままに書き綴っていますが、この数年を振り返りながら忘れて
いたものを取り返そうかな?なんて考えているんですよ。

来年は、ネズミ歳です。わたしも、ネズミですからとうとう還暦の歳を迎えることに
なりました。

あっという間ですね。年をとるということはこんなもんなんだな〜という思いです。

来年の抱負については次回の「ひとりごと」に書きます。書く予定です?

 

2007/12/16

 

何となく忙しさにかまけて、「ひとりごと」を更新しないで今日に至ってしまいました。

早いもので今年も残すところ15日となりました。

今年を振り返ってみれば波乱万丈な一年でした。

まず、昨年から悩んでいた、原因不明の病気がわかったところから一年が始まったのです。

パセドーシ病。甲状腺の病気です。原因がわかれば後は治療です。順調に治療の成果が出ています。

次に、選挙が行われました。寒いという印象が残る選挙でした。

病名がわかったので選挙に出る決心もつき、ひたすら勝つことに全力投球でした。

皆様の支援のおかげで見事に当選できました。

そして新議会が始まり、議長にならせていただきました。

議員木下えつきから、議長木下えつきに変わったのです。

話のは聞いていましたがこんなに忙しいものだとは思いませんでした。実感です。

悲しいこともありました。

議員の同期生で、仲間の要的な存在だった、金田議員の突然の訃報と、浅田前助役の訃報です。

お二人とも、亡くなられる数日前にお話をしていたので、ショックでした。

ご冥福をお祈りします。

我が家族をはじめ、地元の仲間たちから今年一番言われた言葉は、「忙しいんだね。テレビで見てるよ。」

です。驚きました。

来年はどんな年になるのでしょうね。

 

2007/10/27

 

決算特別委員会の総括も終わりました。

総括質問を聞いて驚いたことがあります。

総括質問中、私が前に取り上げた問題が他の議員から提案されたことです。

一つは、ドックランです。この問題は、選挙で訴えたので皆さんも良くご存知のことです。

もう一つは、地籍調査の問題です。これは、かなり専門性のある問題なのに良く調べて質問されていました。

最後の一つは、土曜日の開庁問題です。答弁がもっと驚きました。なんと、「出来るだけ早く実現したい。」でした。

質問者。良かったですね。

疑問に感じた質問もありました。??????????なんとそれは、自民党と民主党の大物議員から出た質問です。

両者とも、歯切れの悪い質問でしたが、「助役(現在では副区長)の二人制の必要性に対する質問でした。」

?????な、な、な、なんで。委員会の中でもまったく議論にならなかったのに?

私は、内山区長の提案で、二人助役制を行った経緯を目の当たりに見てきました。

そして、飯村区長時代に二人助役制を廃止する経緯も見てきました。

その総括として、この制度がいいとは感じていません。大物議員の投げかけなので、これからの議論になってくると思いますが、

なんで、この時期に急に出てきたのか理解できません。

不思議な出来事でした。

不思議な出来事というより困った出来事があります。

後期高齢者の問題です。参議院選挙以来この問題は右往左往しています。

皆様もご存知のようにこの制度は、法律により来年の4月から行われる制度です。

75歳以上の方は国民健康保険から後期高齢者保険制度の変わるというものです。

高齢者の医療費が膨らんできて、今の国民保険制度では若い人達の保険料が上がり精度が維持できない。という発想から行われています。

チョッと待てよ。ということは自分たちのことは自分たちでやれっていうことじゃないの。

若いときは、年寄りを大切に。年をとってきたら、若い人が大変だから。ふざけるんじゃないよ。

この制度のついてはいろいろありますが、今話したいのは、現状の話なのでこの辺にしておきます。

さて、現状は。法律は決まっています。しかし、自民公明の話では、一部凍結?期間延長?国の補助は?何を含むの?保険料は?

所帯で払うの?一人一人?この問題が出されては引っ込み、又出されては引っ込みです。

法律で決まったから、何とか制度を行わなくてはならない、なんていうことで進めているけれど、こんなんじゃ制度が実施されたら

めちゃくちゃですよ。ほとんどの国民が知らないのにこんな制度が行われたら、どうにもなりません。

すみやかに、凍結してじっくり中身を練って行うことを進言します。

上級官僚は、机の上で「こうしよう。あーしよう。」地方の職員は右に左に体と頭を使って飛び回っています。

上級官僚さん地方の職員がどんなことをやっているのか、足を使ってみたらどうですか?

皆さんが抱えている病気はいっぺんになおってしまい、心の病気という恐ろしい病気にかかりますよ。

 

2007/10/24

 

金田功さんを偲んで。

金田功さんが亡くなられました。区議会議員を勇退されて教育委員として第二の人生を歩もうとした矢先でした。

私と、金田さんというよりも、カネヤンとの出会いは、20数年前に私が区議会議員選挙に立候補しようとしたときからです。

そう、8人の侍の誕生のときです。(自分たちで勝手に思っているだけでしょうけれど。)

このとき、自民党では、事前ポスターを貼らないとの取り決めがなされていました。

しかし、新人には適用されないとの判断で一人の新人が事前ポスターを張ったのがそもそもの始まりです。

現在の自民党の控え室に呼ばれた私たちは、自民党の先輩議員から注意を受けました。

その帰り道、カネヤンが、「冗談じゃない。いいだろう勝負をしてやろうじゃないか。事前ポスターをやめよう。」

当然、自民系6人の選挙事情が違うのでそれを実行しえなかったのですが、私は賛同しました。

そして、全員当選。公明党の新人も含めて、8人の侍の誕生です。

議会というのは、同期に当選しますと、序列は歳の順番になります。

カネヤンが一番年上で、私とは11歳違いで、私がもちろん一番下です。

「議会を変えよう。」これが結束の命題でした。

みんなが考え、カネヤンが上と交渉する。これがパターンでした。

甲高い声で顔をいがぐりのようにして、交渉する。こんな状況を思い出します。

気が弱くそれを補うために何時も交渉の時には鎧兜を身に着けている。

年に4回程度8人の侍の会が開かれます。「11期会」です。

酒を飲みながら区政について語り明かします。当然、20年前は二次会三次会と飲み歩いたものです。

いろいろな話はあるのですが、この話は私の胸の奥にしまいます。

大谷ホールで、しめやかに通夜告別式が執り行なわれました。

真っ白の花祭壇に、カネヤンの写真が飾られていました。写真と花祭壇がまったく異質のように見えました。

「これは、カネヤンの葬儀ではない。まだ生きている。」こんな思いだったのでしょうか?

霊柩車に乗ってカネヤンが愛した区役所前に行き、区の職員が見送る中、霊柩車の警笛「ポーン」こんな音に聞こえました。

そして、町屋に向かっていきます。ふと、カネヤンの飲んだときの笑顔が、頭をよぎりました。

激論を交わしたこともあります。平坦な20年ではありませんでした。でも、今はすべてがいい思い出です。

自民党を愛し、深谷代議士を尊敬し、顔のわりには多くの人に愛されたカネヤンももういなくなりました。

そう、いなくなったのです。信じられないけれど、思い込まなくてはいけないのでしょう。

ゆっくり、お休みください。

 

2007/10/07

第三回定例会も、中間点にさしかかりました。

今定例会の特徴は、意見書提出の多さです。

阿部首相から福田首相に代わって新聞などで、方向転換の動きが見られるからです。

特に法改正により準備が進んでいる問題についての見直しの意見書です。

皆様にまだ見えない部分で今区議会は、東京都や国と戦いが始まっているのです。

後期高齢者問題、自立支援法問題等々です。

ここでこの問題について一つ一つ書いていたら、文章が長くなってしまいますので、この程度のしておきます。

台東区は、いろいろなイベントが多くあるのは皆様もご存知のことと思います。

私も、議長になって数多くのイベントに参加しています。

その折、よく皆様に言われるのが「テレビで見ます。」

そう云えば、忙しくてCATVを見ていないと思い、先週時間があいたときにCATVを見てみました。

ちょうど、夏休みの各町会や各団体の活動が放送されていました。

驚いたことに、私が参加したイベントはありませんでした。

本当にたくさんあるのですね。

先週は、タイ国の120周年交流事業の一環で上野動物園に行ってきました。

週学校以来かな?パンダ宿舎の隣にタイ国から寄贈された建物の落成です。

見事な建物ですよ。

上野の山も秋の文化シーズンに伴いいろいろな催し物が開催されます。

たまには時間をつくって上野の山散策もいいですね。

2007/09/24

暑さ寒さも彼岸まで。という言葉があります。議長になって、9月22日・23日・
24日と議長日程が入らなかったので、

久々の休日でした。我が家のべス君とお墓参りに行ってきました。

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べス君と遊ぶのも久しぶりです。木下家のお墓は、谷中霊園にあります。我が家から
歩いて往復で2時間強です。

べス君と歩くと、アッチへちょろちょろ、こっちへちょろちょろと歩くので3時間ぐ
らいになってしまいます。

三ノ輪を出発して、鶯谷の駅に向かいます。出だし好調。べス君も元気に出発です。

根岸の防災広場の近くまで行くと、角々の写生をして入る人達に遭遇しました。

何を描いているのかなと見てみると、古い一軒家をみんなで描いていました。

さて、鶯谷の坂を上ります。ベス君は、高架橋が苦手で、下に電車が通ると一目散に
走り始めます。

どんどん階段を上り順調に高架橋を渡り始めたら、山手線が通過です。べス君。ダッ
シュ。

渡り終わったところで、そう、ちょうど忍ヶ岡中学前あたりで、老夫婦から声をかけ
られました。

「まあ〜立派な犬ね。なんていう種類なの。」私の心の中では、「又太ってるって云
われちゃったよ」と思いながら、

「ミックスです。」おばあちゃんが「ミックスって?」「雑種ですよ。」「ああ、あ
あ」べス君は無視して歩き始めます。

さすがに山に登ると人と人です。寛永寺の前を通り過ぎて花屋さんに。

「お花とお線香ください。」「はい、2,500円です。」いい値段ですね。今日だ
けで何人ぐらい買うんだろうと計算。

お墓の前に着いたらベス君はペチャリと座り込みつかれたよという顔です。

お墓の掃除も終わりおまいりも済ませて、さあ出発。我が家に向かっての帰路です。

寛永寺坂を下りようとしたとき、「木下さん」あれ懐かしい人とご対面。

おりきってお行の松に向かうとまだ写生中。お行の松で一休みして、我が家に到着で
す。

ベス君も疲れたようだけれど私も疲れました。

たまにの休日です。これから一眠り

2007/09/16

 

9月14日に開かれた本会議において、区長より名誉区民として内山栄一前区長の提案がありました。

もちろん、議会としては全員一致で承認をいたしました。

思い起こせば、私が初当選し、最初の本会議の時に、簡単な答弁をする区長さんだな〜という印象でした。

そして、初質問のとき、私は、「浅草中心のイベント行政について」チョッと批判的な質問をしたのです。

そうしたら、簡単に「木下議員の地元でもイベントを企画してください。予算はつけますよ。」と

軽くいなされたのがいまだ尾を引いています。すごい区長さんなんだな〜。

予算委員会だか、決算委員会だか忘れましたが、「・・・・・とかをしていただきたい。」

という質問にも、「私はしたいのですが、後ろがさせてくれないんですよ。」と理事者に責任転嫁。

質問者は怒るでもなく、一本とられたという感じでしたね。

そのくせ、住民が反対運動を起こすと、真正面から立ち向かっていった。

そんな、内山前区長さんも95歳になられました。

聞くところによると、区長をおやめになるときに、「名誉区民に」という話があったのですが、

その時点では受けなかったそうです。

区政60周年の記念の年に、内山先生が名誉区民を受けられたのは、60周年に花を添えていただいたようなものですね。

何時までも、お元気で活躍されますように。

 

2007/09/ 4

デンマークのグラッズサックセ市に行ってきました。

皆様もご存知のように台東区とグラッズサックセ市は姉妹友好都市で、毎年台東区の
中学生がホームステーに行っています。

今回は、今年の10月に、グラッズサックセ市から台東区に商工の人や市長さんがみ
えるので、その打ち合わせと、

台東区からホームステーに行っている子供たちが、ホームステー家族のお礼の会に参
加するために行きました。

成田からパリに行き、そこから飛行機を乗り換えて、デンマーク入りです。所要時間
は20時間弱です。

デンマークについたのは、夜遅いためその日は、ホテルに入ってそのまま就眠です。

翌朝、グラッズサクッセ市を訪問して、夕方からお礼のパーテーに参加しました。

子供たちは実に元気そうで、ホームステー家族とも溶け込んだ様子です。

お世話になった家族と子供たちが総勢80名くらいの大パーテーです。

最初に、私からグラッズサックセ市の皆様にお礼の挨拶を行い、日本大使補佐官がお
見えでしたので、ご挨拶をいただきました。

又、副市長さんやグラッズサクッセ市の学校の校長先生の挨拶や、こちらから引率し
て行った校長先生の挨拶やらで、

乾杯までなんと1時間以上かかってしまいました。

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写真は、私から副市長さんへの台東区からのお礼をこめたお土産の贈呈式です。

乾杯が終わり各テーブルごとに料理も運ばれ和気藹々の話が進み、台東区の子供たち
から各家族にお礼の歌が披露されました。

又、半纏を着て「そおらん踊り」をみんなで踊って見せていました。英語でのスピー
チも大したものでしたよ。

パーテーは大盛況でした。名残惜しそうに各家族と別れを惜しむ姿が印象的でした。

私も、議員になる前にマンリー市に行ってホームステーをした経験がありますが、そ
のときのことを思い出しました。

私の議員生活の中で、思い出に残る一夜になりました。

 

2007/08/11

夏に入ると台東区はいろいろな行事がいたるところで行われる。

その皮切りに行われるのが、朝顔市と七夕祭りだと思います。

今年の七夕祭りは、写真にもあるように頭のはしごのりから始まりました。

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上野学園から浅草の今半まで鼓笛隊を先頭に歩いていきます。

沿道には各町会やいろいろな団体が模擬店を出しています。

焼きそばや、フランクフルト、ビールや、カキ氷、まるで子供の時に見た縁日のようです。

縁日と言うと私のイメージでは、おとり様ですかね。でも、おとり様は冬ですよね。

暗くなった道に、裸電球で照らされた屋台と言うのも味があっていいものです。

先日「古川祭り」に行ってきました。平成の大合併で古川市から大崎市に変わりました。

何時も行われていた花火をやめて、市民祭りの様相を色濃くしたお祭りでした。

市議会議員の皆さんも連を組んで町の目抜き通りを踊っていましたよ。汗びっしょりになって。

驚いたことに若い人達が家族ずれで歩いている姿が印象的でした。

東京の祭りと違って、東北の祭りは何となく哀愁があるんですよ。

短い夏を惜しむかのような。

街にはその街の人達が養ってきた町の味って言うようなものがあるように感じ始めています。

それを感じるのは歳を取ったせいですかね。

 

2007/07/29

 

台東区の夏の風物詩である花火を終わりました。

年をとったせいか、パンパンパンパンと言う花火よりも、ド〜ンヒュルヒュルという花火のほうが

いいように感じました。わかるかな〜?

それにしても人出はすごかったですね。新聞によると98万人の人出だったそうです。

地元でも花火が見えるので始まると同時に地元三ノ輪に戻って我が家で着替えをしようと戻ってみたら、

我が家に横の通りに黒山の人だかりでした。

ビルとビルの合間から花火が見えるのですね。隣のスーパーもチャッカリ。氷を売るや焼き鳥を売るや、

缶ビールを冷やして売るや。売れ行きは好調のようでした。

さすが下町ですね。

えつきの行動予定に書きましたが、来週は姉妹友好都市の訪問が2箇所あります。

長野県の諏訪市と、宮城県の大崎市です。

平成の大合併で合併した市としない市です。

両方の議長さんと前に話をしたことがありますが、両市ともそれぞれの悩みを抱えているようです。

東京浮遊論のパッシングが地方から徐々に起こりつつある現状を見ると、いつか近い将来我が台東区に

合区の問題が吹き荒れそうです。

その時、私たちはどのような選択をしなければいけないのか両市で学んで来たいと思っています

 

2007/07/14

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選挙公約である、「ドックラン」 を進めようとするとこれがなかなかうまくいきません。

この前も、「ドックラン」について抗議の手紙が来ました。

その内容は、犬を飼っている人や猫を飼っている人のマナーの問題です。

確かに、マナーの悪い人がいることは事実ですし、そのために多くの人達が迷惑を感

じているのも事実です。

しかし、その人達にマナーの向上をはかる場所がないのも現状です。

朝、犬の散歩をしていると、いろいろな人と出会います。特に増えたのが犬の散歩を

している人と歩いている人です。

私の出会う人達は、必ず犬の糞の処理をしています。なのに糞が落ちているのも現状です。

たまに、猫のえさか鳥のえさを自転車の後ろに乗せて回っている人に出会うときもあります。

注意をしようとすると自転車でスーと行ってしまうので追いつきません。

犬も、猫も迷惑な動物なのでしょうか?マナーの悪い飼い主が迷惑なので犬や猫には

関係ない話でしょう。

でも、皆さんには「ドックラン」は迷惑施設のようです。

何か、世の中チョッと考え方が違ってきているような気がします。それとも、私の考

え方がおかしいのでしょうか?

いろいろな商業施設に「ドックラン」が併設されるようになって来ました。この現象

はどのような意味を含んでいるのでしょうね。

自然との共生難しい問題ですね。

 

2007/06/29

 

「もしかして?」

どこの総会でもあることですが、区長・議長は、総会の席に呼ばれるのではなく、

総会後の懇親会に呼ばれるようです。

懇親会の席に着くと、まず、区長が挨拶をして、その後に議長が挨拶をするというのが定例のようです。

挨拶が終われ、乾杯に進むと、主催者の方や地元の方が、「今日はお忙しいところご参加くださいましてありがとうございます。

まあ〜いっぱい。」こんな挨拶が行われます。その席で初めての人に会うと、名刺交換ぐらいするのです。

チュッとひがみ目に見ると、区長に対しては心から。議長に対してはついでかな???

でも、これが下町の挨拶なんでしょう。

しかし、こんなことが「非行のない明るい街づくり下谷連絡協議会」の懇親会でありました。

いつものように、区長の挨拶、議長の挨拶が終わり乾杯に進み、下町の挨拶が始まった頃、

区長と私の席の前に(前にと書くとすぐ前のように感じますが、宴会席の料理が並んでいる反対側)

一人の、「男の人が遅れちゃった。会議が長引いて。」とどかっと座り、まずビールを一杯。

その後、左隣にいる校長とべちゃくちゃ。その右隣には主催者側の副会長がいるのに、挨拶もせずにべちゃくちゃ。

区長を見ても、私を見ても会釈すらしないで、べちゃくちゃ。

え〜。もしかしてどっかの学校の校長かな?

まさか、挨拶運動を展開している学校の校長がそんなことするわけないよね。

区民でしょう。でも私は見たこともない人です。下町に人はそんな人はいないよ。

そんなことを、心に思いながら、次の会場に行きました。

「もしかして?その人が校長先生で、教師の海外派遣に選ばれていたりして???」

 

2007/06/12

 

永寿病院にある緩和ケアーに行ってきました。

私の知り合いが入っているからです。

病院に行く前は「どうしようかな?」の自問自答です。

心を決めたのが、・・・さんが木下さんにあいたいって言ってたよ。の一言です。

病院のエレベーターのボタンの9階を病室の前に立ちました。

まだ、心には迷いがあります。

「・・・さん。木下です。」「ハーイ。どうぞ。」思ったより元気な声でした。

個室のベットに寄りかかったような状態で、弟さんと話をしていました。

弟さんに、「木下さん」と紹介をしてから、「こんないい場所があったなんて知らなかったよ。」

あまりの言葉にびっくり。「いかがですか?」と言うのが目いっぱいです。

「チョッと高いけれど、こんな施設をつくってくれてありがとう。」

「一人暮らしの私が、そんなに贅沢にお金を使ったんじゃないから、お金があるうちはここにいるんだ。」

「みんな親切でさ。昨日も3人がかりでお風呂に入れてくれたんだよ。」

「好きなものも、すぐにとは行かないけれど、食べさせてくれるんだよ。昨日もてんぷらを食べたんだよ。」

「この施設は、区も何か支援しているのかね。」

「ええ。支援していますよ。」

弟さんが、ここにはってある写真。と指を刺して。「看護婦さんが貼ってくれたんですよ。」

その指の先には、お孫さんの写真が貼られていました。

「・・・さん。働きづめだったもんね。」

「そうだよ、こんなに至れり尽くしなんて初めてだよ。上げ膳据え膳だよ。」

「姉がね、今日は中落ちでワインでいっぱいって言ってんですよ。いいワインがないんで後で買いに行こうかと思っているんです。」

「私はね、マグロの中落ちが好きなんだよ。」

「そうですか?それは楽しみですね。」

「あまり長居をすると疲れるといけないのでこの辺で失礼します。

「そう。お世話になりました。」この言葉で病室を後にしました。

そう。お世話になりました。最後の言葉です。

 

 

2007/06/05

 

第二回定例会が始まりました。

区長の政策的な予算が補正予算として出されます。

昨日は、本会議場で区長の所信表明演説が行われました。

聞いた感想ですが、この4年間台東区がどの方向に向かっていくのかを示してほしかったかな。

それにしても、驚きですね。当初は補正予算額が10億円程度だったと思っていましたが、

なんとなんと、18億円ですよ。税収が良くなっているんですね。

これからの審議が楽しみです

 

2007/05/29

 

議長に就任してから2週間があっという間に過ぎてしまいました。

まだ、日程をこなすのに精いっぱいという感じです。

特に、総会のシーズンですので台東区にこんなに団体があるのかと思い知らされています。

今までだったら、呼ばれた会で紹介だけですんでいたのに、議長になるとほとんど挨拶をすることになります。

意外と神経を使うものですよ。皆さんにはそう見えないかもしれませんが。

台東区の人は本当に心が優しいと感じます。いろんな会合でいろいろな人と会いますが、

皆さん自分のことのように喜んでくれます。

これが下町の人情なのですね。

 

2007/05/20

月15日の臨時議会において議長になりました。

長年の皆様のご支援に感謝申し上げるとともに、当日、28人の各会派の皆様に御礼
申し上げます。

議長の選出方法は、本会議場における各議員の投票によって選出さてます。

今回、共産党を除いた28人の各会派の議員さんが私の投票していただきました。

議長には私がなり、副議長には太田議員が、そして監査には和泉議員がなりました。

皆様のご期待に恥じることなくこの重責を全うしていく所存ですので皆様のご支援を
よろしくお願いいたします。

さて、話は変わりますが、5月18日〜19日に下田に行ってきました。

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別に、議長としての公務ではなく、議員としての調査活動です。

テーマは、「市民祭りと姉妹都市交流のあり方。」です。残念なことに3日間の「黒
船祭り」でしたが、2日しか調査する時間がとりませんでした。

「黒船祭り」は今回で68回を迎えます。当然観光地ですのでお客様の集客を一番に
考えているのだと思いました。

実際に行ってみると、そこにはちょっと違う光景が私には感じられたのです。

それは、その祭りに対する市民の誇りです。歴史を生かし、その歴史を大切にした市
民の交流が原点にあるように感じました。

とかく、観光事業に走りがちなイベントなのですが、原点がしっかりしているいイベ
ントだから市民祭りなのでしょうね。

それが、観光の集客につながって行く。そんな市民祭りを台東区も考えていけばいい
ですね。

2007/04/30

我が家から歩いて15分ぐらいの東日暮里に大滝の藤と言う名前がついた藤の木が
あります。

数年前に、新聞で見てからこの時期になると朝のべスの散歩のときに見に行きます。

写真で見てわかるように、赤い建物の軒に植わっている、言えば個人所有の藤の木で
す。

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今日の東京新聞にこの藤の木の話が載っていました。

今まで、個人が管理をしていて、今年いっぱいで個人の管理が限界になりこの藤の木
を切るように申し入れがあったそうです。

地元町会がこの話を聞いて、荒川区に陳情を出したそうです。

地元の存続会の会場に区長が見えて、荒川区で管理を行うと言うことに即決したそう
です。

新聞に載るまで毎年見られるのが当たり前のように思っていた私としては、何となく
恥ずかしい思いをしています。

でも、これからもこの時期になったら大滝の藤が見られるのはうれしいことです。

チョッとわかりにくいところにありますが、探して見にいったらいかがですか。

 

2007/04/21

4月13日。上野の桜も葉桜になった時、30年来の友人が、葉桜の下で亡くなりま
した。

朝車で仕事に向かって、寛永寺坂をのぼろ切った所で、車を止め、葉桜の下で休んで
いたようです。

その場所が、彼の終焉のところになりました。まだ、58歳になったばかりです。

今回の選挙で、私の設営隊長として活躍されました。選挙報告のだるまの目入れ式で
だるまを持っている人です。

彼は、6年前に奥さんを癌でなくし、その後お医者さんに対する不信感を常に訴えて
いました。

血圧が高く、血圧を下げる薬を服用していましたが、2年前よりその薬も飲まなくな
りました。

私が、激やせしたときも、私の体を心配してくれました。インターネットでいろいろ
調べてこんな自然療法があるといっていました。

「体を気をつけるよ」「お前こそ医者に行ったほうがいいよ」こんな会話が常日頃の
二人の会話です。

前区長の飯村さんの青年部であったのが最初の出会いです。頑固なところがあり若い
ときは激論を交わしたこともあります。

朝、元気で家を出て行った人が、帰らぬ人になってしまうなんて、無常を感じます。

彼のご冥福をお祈りします。

2007/03/31

今日で3月も終わり、いよいよ明日から新年度の変わります。

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上野の山の桜も満開です。

このような時期には、思いもかけぬことが起こるもんですね。
新台東病院の誘致から建設に尽力した某課長が痴漢容疑で警察に捕まりました。
お酒を飲んでの帰りの通勤電車でのことです。
新年度から今までの実績を生かして新台東病院の中身について固めていくのに最適任者です。
何でこのようなことがおきてしまったのかわかりません。
春の妖気に惑わされてしまったのでしょうか。
この事についてある若い人達と話し合いをしました。
私は、「ふとしたことで起こったんだから、何とかこの人に再起の道を与えてもいいのじゃないか。」
ある女性は、「たまたま今回発覚しただけで、今までだってあったかもしれないよ。こんなことをする人は、人間とし
て失格でしょう。」
ある男性は、「どうせ首にはならないのでしょう。行政は職員に甘いんだから。」
厳しい意見が大半でした。でも、あの優秀な人材を失うことは本当に残念で仕方ありません。
桜に花が満開になると同時に新人事で動き始めようとした矢先、何故何故という思いが心に充満しています。

 

 

2007/03/27

選挙も終わり、事務所の後片付けも終わりました。

べスくんと、我が家の裏にある桜並木を朝の散歩です。

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選挙中は選車に乗ったり、歩いたりとベスくんと散歩する時間も取れませんでした。

家に帰ると大きな体を擦り寄らせて、私に寂しそうな目を向けていたベスくんです。

まだ、桜も三分咲き程度ですが、久しぶりの私との散歩で大きな体をのしのしと威
張って歩いています。

さて、私は、「ドックラン」を台東区につくろうと主張してきました。

私の考えている候補地は、上野公園か隅田公園です。

本会議、総括質問で「ドックラン」について質問をしています。その答弁は前向きで
すが、実際は近隣の理解が必要と言うものです。

東京都も近隣の理解が求められるなら、都立公園に「ドックラン」をつくるといって
います。

では、都立後援の上野公園はどうでしょう。公園内に誰が住んでいるのでしょう?近
隣住民とは誰なのでしょう?

やる気になれば必ず出来ます。みんなが「ドックラン」の必要性を訴えないからで
しょう。

その、先立つを今回の選挙で私がしました。みんなで「ドックラン」の必要性を訴え
ましょう。

もちろん私も議会でがんばります。

 

 

2007/03/24

 

台東区議会選挙の結果はもう皆様もご承知だと思います。

しかし、区長選挙と区議会議員選挙を同日に行ったため、区長は当選と同時に区長職になりますが、

区議会議員は、4月末日まで前のままで行われます。

つまり、今回の選挙で当選しても、4月末日が過ぎるまで、議員ではないと言うことです。

さて、今区役所は一つの問題が関心を集めています。

区長選挙で勝った区長が、副区長を誰にするかです。

これからの4年間、区長の補佐役として誰を指名するのでしょう?

副区長候補者は、選挙の開票日のような心境でしょうね。

 

2007/02/18

 

木下事務所が完成したので、べスくんが初めての訪問です。

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「ドックラン」がないので、事務所内はベスくんのドックランでした。

初めての場所のときは何時も同じですが、いろいろなところに恐る恐る行って、そこの匂いをかいで来て

すぐ私の元に来る。又他の場所へと。この写真を見ても、何となく不安な目でしょう。

さて、今回の選挙の私の公約の中に「ドックラン」をつくろう、と言うのがあります。

台東区議会で、区長に質問したのは私だけです。

区議会の反応も、「ドックラン」に対して冷たいものです。

「木下は犬を飼っているから、ほしいんだろう。」「こんな時期のドックラン?目が点になってしまう」

散々なもんです。議会の限らず、行政の中にも同じような考えの人が多いいようです
し、町を代表する町会長の中にも、

同じ考えの人が多いいようです。

でも、チョッと待ってください。町の公園に行くと犬と一緒に散歩している人の数の多いいこと。

「ドックラン」は、単に犬が好きな人犬を自由に遊ばさせるだけではないのですよ。

その場所において、友人の輪が広まります。一人暮らしで犬との会話だけで生きている人。

たくさんいるんですよ。公園で犬を通して人と話をするだけの人。

もう一つの理由は、街のイメージアップです。

これは、皆さんが考えているより大きいことなんです。

どちらにしても、私の訴えが皆さんに届いて、当選することが出来たら、今まで批判
的だった人の考え方も変わるでしょう。

それが選挙です。

 

2007/02/09

 

2月4日(日)に、三ノ輪一丁目で餅つき大会が行われました。

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前回の「ひとりごと」で書いたように私達の住んでいる台東区は、文化と伝統を大切
にしているんだな〜と感じます。

ここに参加している子供たちの何人がこの町で一生を送るのか?又、他のところに
いった子供たちが、

その町で伝統を引きついてくれるのか?そんなことをふと感じてしまいました。

話は変わりますが、2月8日で、区長の任期が終了しました。

これから、選挙が終わるまで、区長不在で、助役が代行していきます。

この4年間の区長の評価はいろいろあると思いますが、私は、飯村区長のやり残した
施策を継承したと考えています。

区長の最後の所信表明演説でも、自分の実績のように、一葉記念館や新台東病院、長
期総合計画等々言いましたが、

飯村区政の時にレールが引かれたものばかりでした。前区長の継承をするということ
は大変なことです。

どうして胸を張ってそのことを云わないのかな〜?????。

一般質問で「区民クラブが現区長の政策に反対をしないで何故区長候補を樹立したの
か?」と言う批判演説がありました。

先にも書きましたが、私は、飯村区政を批判することは無いのです。

そんなことがわかっていながら、自分の会派で区長候補を樹立しているのに、その政
策で区長と渡り合える時間を、

批判演説に費やしてしまう政治家としての資質に疑問を感じました。

どちらにしても、第1回定例会は予算審議を含んで開会されたばかりです。

選挙という重い十字架を背負いながらも、この定例会をがんばらなくては。

 

2007/02/03

 

私達の住む台東区には昔からの行事が当たり前のように行われています。
この写真は、2月3日の節分の時に撮った写真です。


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三島神社で行われた、節分際です。
「福は内、福は内、鬼は外」大きな声で各町会の年男、年女が豆をまきます。
下には、その豆を拾おうと多くの子供が、紙袋などを持ってきて集まります。
わが町の神社のいたるところでこのような風景が見られるのです。
自助共助が出来ている町。人の心が通じ合っている町。
こんな町を大切にしていかないと。と思う気持ちが大切なんですね。
この気持ちが、段々わが町からなくなっていきそうですよ。

 

 

2007/02/03

 

三ノ輪から言問い通りまでの国際通りに、一葉桜を植えようと言う私の提案の

「一葉桜道しるべ事業」の第一歩が、形として現れるようになりました。

皆様もご存知のように区道には、一葉桜が植えられています。

しかし、国際通りは都道なので、せっかく区道に植えられた一葉桜並木も、

大きな通りに来る前で止まってしまいます。これでは、三ノ輪から一葉記念館。

浅草から一葉記念館に続く道の道しるべにはなりません。

だから、都道である国際通りに一葉桜を植えることが大事なのです。

話が、必要性の方向にいってしまいましたが、その第一歩とは?????

日比谷線三ノ輪駅の明治通りに、大関横丁という交差点があります。

その四つ角に、一葉桜を植えようというものです。

駅からおりてきて、一葉記念館に行こうとする人に、「こっちですよ。」と教える

道しるべです。

この場所は、国道です。国土交通省に何度か足を運び、話し合いを重ねた結果ついに実現することになりました。

たった二本の一葉桜ですが、これがきっかけになって次の段階に進んで行くのでしょう。

今日は本会議でした。理事者から今定例会の議案説明と区長の所信表明です。

区長の所信表明演説を聞いてチョッと残念な思いがしました。

前段から私はこんなことをしました。そしてこれからこんなことをします。

何々、所信表明じゃなくて、選挙演説??????。

選挙が近いから仕方ないのでしょうね。

朝、区役所に行くと何となくざわざわした感じがしました。

なんなのだろうと思っていたら、今日の一時ごろに右翼の街宣車が来て演説をするらしい。

噂では聞いていたけれど、某区長候補に対しての非難演説のようです。

選挙が近くなるといろいろなことが起こりますね。

 

2007/01/28

新年会もボチボチ終わりになってきました。

我が、台東区は23区中新年会の多いいのでは郡を抜いています。

それが、下町の良さだと私は思っています。

先日、「手をつなぐ親の会」の新年会にお邪魔しました。

他の新年会と同様に、会長の挨拶から始まって、来賓の挨拶へと移りました。

来賓の挨拶に立った中山前衆議院議員が、「自立支援法」について、痛烈な批判演説を行ったのです。

新年会ムードが一変に飛んで、「自立支援法」一辺倒の新年会に変わっていきました。

各区議会議員が、一分間スピーチ的な挨拶をしました。

あの時、「自立支援法」に賛成していた議員まで、その不備を指摘するような挨拶になってのです。

私は、「自立支援法」に触れる挨拶は避けて、区役所のバリアフリーについて話しました。

もちろん、批判的な挨拶です。

一人の人の挨拶から、その会全体の雰囲気が変わってしまうのは、久しぶりに見ました。

この会の流れが、これから続く、福祉団体の新年会に尾を引いていくのですしょう。

 

2007/01/23

 

毎日、毎日新年会が続いています。わが町台東区ってこんなに多くの団体や町会等々が

新年会をやっているんですね。

その新年会で、いろいろな人と会います。酒を酌み交わしながら話す会話の中に個々の悩みが出てくるんですよ。

その時代背景によって違いますが、今年の新年会での悩み相談で一番多かったのが介護保険のことでした。

今までこのようなサービスを受けていたのが、受けられなくなった。

介護度が急に下がってしまった。等々です。

保険なのに、使う人のニーズに合っていない。そんな思いが実感です。

いじめの問題も出てきました。いじめを受ける側、いじめをしている側、その間に立っている先生。

それぞれの立場によって、いじめのとらえ方が違っているようです。

しかし、いじめを受けている側の、対応をしっかり見ないと大変なことになります。

学校の面子などは捨てて、その子供の意思を受け止めてやることがいいのではないでしょうか。

まだまだ新年会は続きます。どんな話が飛び込んでくるのか楽しみです。

 

2007/01/15

私の正月の風物詩がこの写真の光景です。
ご住職に許可を経て写真撮影をしましたが、デジカメではこれが限度ですね。
この風物詩は、「虚空蔵講」といって正月に区役所のすぐ近くのお寺で行われます。

 

経典を一つずつ開いてまるで扇風機のように、「パタパタ」と、宙を舞うようです。
1月11日に区役所の10階で区議会議員選挙の説明会が行われました。
候補者の参加は、42名でした。32名の当選ですから、かなり厳しい選挙になりそうです。
42台の選挙カーが大きな拡声器で町を練り歩きますので、皆様にはいい迷惑かと思いますが、
皆様に一番身近な選挙ですのでご理解をいただきたいと思います。
新年会が始まって約一週間が過ぎようとしています。
もう同じお店に何度かお邪魔をしたこともあります。
毎年だと、最初の挨拶のときその干支にちなんだ枕言葉があるのですが今年はあまり聞かれません。
いのしし年となると、良い枕言葉がないのでしょうか?

 

 

2007/01/06

12月30日に、大和田功区議会議員が亡くなられました。

病院で家族と話をして、面会時間が終了したので家族が帰ってから、1時間後の出来事だったそうです。

つい数ヶ月前まで次期区議会議員選挙に出馬すると言っていたのに。

話によると、視察に行って、足が膨らんできたために病院で検査をしたそうです。

その検査入院が、そのまま続き、出馬辞退、そして、亡くなられるということになりました。

大和田区議会議員の初めての出会いは、消防団長として活躍されているときでした。

「頭〜中」と言う号令が思い出されます。

二年前、自民党の幹事長として活動されているとき、私も区民クラブの幹事長だったので、

丁々発止やったことも、今になればいい思い出の一つです。

亡骸は、東大病院から自宅に移り、昨日、区役所の前を通り、葬祭場に安置されました。

区の職員も、区役所前で、大和田議員の亡骸を送っていただいたそうです。

長い議員生活の中で、現職の議員さんが亡くなったのは、3人だったと思います。

故、水島議長、故足立議員、そして、大和田議員。区長は、故飯村区長。

その時々の思いが、又蘇ってきます。

さて、区役所の新年初顔合わせも終わり、新年会が始まりました。

23区の中では異例の新年会の数です。

その新年会の席で、飲みながら皆様と話す話は、これからの議員活動で重要な話です。

昨日の新年会でも、「妻が倒れて家で面倒を見ているが、介護保険の改正で、今まで来ていたヘルパーさんが

こなくなってしまった。これでは、仕事にもいけない。」と言う話がありました。

そんな馬鹿な????。すぐ調べてみます。

残念、連休だ。連休明けに調べよう。

まだ、新年会は始まったばかり。どんな話が飛び出してくるのかな?

 

2007/01/03

新年明けましておめでとうございます。

昨年中は、「ひとりごと」をご愛読いただき心より御礼申し上げます。

皆様もご存知のように、今年は選挙の年です。

その為に、選挙が近くなると、「ひとりごと」を書くことができなくなります。

ご理解のほどよろしくお願いいたします。

私の政治の父である、故飯村恵一前区長は、「太陽の心」と言う言葉を政治心情にしていました。

「富めるものも、富めないものも、皆平均に太陽は暖かさを与える。」

こんな意味かな〜と、私は理解しています。

私も、政治には心と心が通い合わなくてはならないと思っています。

そんな政治がしたい。又選挙においても同じ気持ちで戦いたい。

日の出前、真っ暗な空が、濃紺になり、その濃紺の空に水を注いだように、

段々と空色に変わり、真っ白な空が現れてきます。

そんな空を、べスと一緒の散歩の時に見ます。

心があらわれるようなひと時です。

多分サラリーマンの人達は、こんな空を見ながら通勤電車に乗って仕事場に来るんでしょうね。

正月が開けたら、こんな空も見られなくなるのでしょうか?

こんな思いで、正月を過ごしています。

皆様の正月はどのように過ごされているのでしょう?

 

2006/12/28

 

カッチン、カッチンと拍子木の音が各町から聞こえてきます。

暮れだな〜という感じになってきました。

我が三ノ輪町会は12月27日から30日まで各部が変わりばんこに町内を回ります。

最初の日が私の住んでいる一部の当番でしたので、早速、町内をカッチン、カッチン、火の用心と言いながら、

回りました。景気が回復したのか、町には酔った人がふらふら歩いている姿を見かけます。

ズーと昔、私がまだ青年のとき、町の夜回りをしていたら、酔ったおじさんが、

「お〜若いの、ご苦労さん。これで一杯飲めよ。」と言って、1000円もらったことがありました。

なんとなく、その時代の雰囲気に似てきたように思います。

さて、今日は役所の仕事納めの日です。多分内の会社も仕事納めだと思います。

この一年の役所を振り返ってみると、意欲に燃えた働き人間と、まあまあボチボチというタイプに別れるようです。

ただ、何となく、上下関係、仲間関係の人の輪が、うまく取れていないように感じます。

役所を支えるのは、人であり組織です。一人の人間が、忙しくみえるのは組織が機能していないようにも見えます。

と言いながら、私のこの一年は、どちらかと言うと、「まあまあ、ボチボチ」だったのかな〜。

来年に向かい、今から気合を入れなくては。

今日も、町に「カッチン、カッチン」と、音が響きます。

 

2006/12/24

 

メリィークリスマスっていっても、私は風邪をひいて鼻水だらだらです。

風邪をひくと思い出すのがりんごです。りんご???なんだと思うでしょうね。

私が子供のときは、風邪をひくと必ず扁桃腺をはらして高熱を出すのです。

そんな時、ひいおばあちゃんが、おろしがねでりんごをすってくれたんです。

その頃のりんごは、かむとシャキッとした歯ごたえで必ずしも甘いものではなかったのです。

おろしがねですったりんごの砂糖を入れて甘くしたものです。

頭に水枕、のどの氷をつめたもので冷やしながら、りんごのおろしたのを食べた記憶がよみがえってきます。

話は変わりますが、地下鉄三ノ輪駅の明治通りを渡ったところに、つつじを植えてある植栽が2つあります。

その植栽に、一葉桜を植えようと考え、あれよこれよと考えました。

何故この場所に一葉桜?と思うでしょうが、私の考えている一葉桜道しるべ事業の第一歩だからです。

簡単なように思われるかもしれませんが、その場所は国道なのです。

現状は、つつじの山みたいな状況で、その中には何がほうり込まれているのかわからない状態です。

区の公園課と協力していろいろ調べてみたところ、入谷駅の入り口の植栽がきれいになっていることがわかりました。

何故出来たのか。国土交通省がやっている、「ボランティアサポート」事業でした。

この事業は、道路の清掃美化をボランティアの手で行う事業で、この植栽の維持管理は地元の人の手で行う。

大まかに言うとこんな感じです。そこで地元の町会に話をもって行きました。

「一葉記念館も新しく出来たんだし、えっちゃんの一葉桜道しるべ事業にもつながるんだから協力しよう。」

ということになり、地元の協力が取り付けられました。後は、国土交通省です。

2回ほど足を運びました。話は順調に進み、後は最後の調印だけになったのです。

来年にはすっきりした植栽に、一葉桜が見られるようになります。

「樋口一葉「たけくらべ」の里入り口を、清掃・美化する、ボランティア活動を、私たちは行っています。」

こんな看板が、三ノ輪駅の入り口に建つでしょう。三ノ輪町会の桜として。

 

2006/12/20

 

べスと私の絵を描いて頂きました。皆さんにはどう見えますか?

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私の、「総決起大会」の時に、参加していただいた方々には見てもらいました。

はじめは、皆さん写真かと思ったそうです。
この絵を描いてくれた人は、私が高校生の頃からの知り合いです。
仕事をやめてから、絵を習ったそうです。
そう、仕事をやめてからの人生て、考えたことがありますか。
私は、考えたことがなかったのです。でも、私も団塊の世代です。
遅かれ早かれその生活が来るんでしょうね。
生まれたときから商人の家で育った私は、仕事は死ぬまであるんだと思っていました。
そう、議員になる前営業で個人商店を訪ねると、そこには年をとったおじいさんが帳簿などをつけていました。
今でも、近所のお店に行くと老夫婦で店をやっているのを見かけます。
そんな時代が終わってしまったのでしょうか?
もう後を継ぐ人がいないし、近くに大きなスウパーが出来て、売り上げが下がったからやめよう。
こんな話が日常的に聞かれるようになってきました。
まだ、やめられるうちはいいですね。ともに働いていた夫婦の片方が倒れたりしたらもっと悲劇です。
年金も、国民年金だから、家を維持していくことも出来なくなってしまいます。
一生働き続けて、たまに町内の旅行に行って何で楽しいのだろう?なんて考えたけれど、それでも、
定年退職をして、ボーとした生活をしている人を見て、商売をしているほうがいいと思った時代はもう来ないのでしょうか?
自分の人生をどう生きていくのか、考える年になりましたね。
さて、この絵を描いてくれた人は、この後、第53回全日肖展で、入選されました。

 

 

2006/12/16

 

今回の「ひとりごと」は、食いしん坊べス君の話をしたいと思います。

最近、べス君は食事によるダイエット中です。さすがに、いくらかは痩せてきたよう
ですが(ひいき目に見て)
人が来ると、食べ物のねだり方がすごいのです。
まず、その人の側に着てチョコンと座り、目を見つめます。
無視していると、ワンワンと泣き出します。「うるさい」とにらみ返すと、今度は両
手を挙げて催促をします。
それでも無視を続けると、今度は鼻でツンツンと突っついてくるんですよ。

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そのしぐさの可愛さについついジャッキーをあげてしまうのです。
散歩をしているとわかるんですけれど、本当に「雪はこんこん」の歌のように「犬は
喜び庭駆け回る。」て本当ですね。
寒い朝、ベス君は元気にどんどん私を引っ張って自分の行きたい方角に進んでいくん
ですよ。
チョッと油断をすると、転んでしまいます。

そういえば、この前信号待ちをしていたら、急に若い男の子が転んだんですよ。その
横にワンチャンが飛び跳ねていた。
犬の、寸発力はすごいですね。

動物と一緒にいると何時も思うんですよ。おなかがすけば、「腹減った」。おしっこ
がしたければする。
生きていくために当然のことなんですよ。
人間って何でもっと心を開かないんでしょうね。

 

2006/12/13

 

迷惑メールに本当に困っています。何とかならないのでしょうか?

昨日、築地の癌センターに行って胃カメラをのんできました。

のむって云うのもおかしいかな?

癌センターっていうと、あいつ癌なのかと思われてしまいますね。

十二指腸にポリープがあるので、定期的に胃カメラで見てもらっているのです。

最初に癌センターに行ったときは、4,5時間待たされました

その後、全予約制になったので待ち時間が無くなりました。

でも、すごい人数が、この病院に来ているんですよ。

内視鏡で見た結果は、前回と代わりがないとのことですが、胃が荒れているようです。

飲みすぎ、吸いすぎかな?

区長選挙に共産党推薦で立候補する人が現れました。

これで、自民党推薦・民主党推薦・共産党推薦と出揃った感じですね。

でも、共産党推薦の人が、何で共産党推薦で出てきたのか理解しにくいです。

この人を応援する共産党以外の区議さん、どうするんですか?

「政策協定が結ばれた。」と言いますが、憲法問題・教育問題・本当に一致しているんですか?

少なくとも、以前私と同じ会派で活動していたときは、共産党と一致していなかったと、私は思います。

??????わからない。

どちらにしても、3者の戦いですね。

 

2006/12/ 9

朝の散歩をしていると(当然べスと一緒に)、寒さを感じるようになってきました。

町の木々も色づいてきています。私の大好きなイチョウの木があります。

金曾木小学校の裏の公園と神社のあるところです。

まだ、まっ黄色になっていませんが、それは見事なものです。一度見に行かれたらいいと思います。

最近我が家の前の日光街道をまたいでいる、横断歩道橋のことを考えています。

あの歩道橋は、耐震診断されているのだろうか?

今の時代に、歩道橋が必要なんだろうか?

お年寄りがゼイゼイいいながら渡っている。向こうに着いたら今度は地下鉄の階段だよ。

自動車中心の時代だったから、歩道橋を造ったんでしょう。

でもそこらじゅうの歩道橋は無くなっているようでね。

そうだ、町が歩道橋はいらないという意思表示をしないからだ。

そうしよう。

何時か、歩道橋が無くなる日が来るでしょう。

 

2006/12/ 2

11月29日(水)午後6時、浅草ビューホテルで、「木下えつき総決起大会」を行いま
した。
当日は、約400名の方達が参加してくださいました。心より御礼申し上げます。

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11月中旬以降、総決起大会の準備と一般質問の原稿書き等々で大変忙しい日々をすご
しました。
総決起大会の前日が一般質問の締切日です。
区長に対してどのような質問をするのか、骨子を書き出して、その内容を説明しなけ
ればなりません。

私の質問時間は32分ですので、原稿用紙に書くと約15枚〜20枚くらいです。
質問内容については、区長答弁と一緒に別のところに掲載いたします。

どちらにしても、ホット一息です。

2006/11/ 23

一般質問の原稿書きや、「総決起大会」の準備などに追われてひとりごとを書く余裕がないのですが

どうしても、皆さんに知ってもらいたい人の話があるので、書き始めました。

今日は一葉祭です。地元の皆さんが、お稚児さんで一葉記念館まで歩いて行進です。

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気温も寒く、今にも雨が降りそうな空模様でしたが、行列が始まる頃にはお日様も顔を出すようになりました 。

お稚児さんに参加した子供たちにより、一葉記念公園に地元の方たちが植えた一葉桜に土が乗せられ植樹祭が行われました。

そんなシーンのときに、携帯電話が鳴りました。昔からよく知っている障害を持っている人です。

「話があるから家に来てほしい」と言う事です。予定があるので夕方に行く約束をして、携帯を切り、次の約束の場所へ向かいました。

午後4時に、電話の主の家をおとづれることが出来ました。

障害を持っている彼女は、脳性まひで手足が動かない状態です。それでも、一人暮らしをしています。

会うなり、「もう生きているのがつらいよ。」「なになに」答えることも出来ませんでした。

続けざまに、「区長に手紙を書いたんだよ。」「なんて?」「障害者自立支援法に伴い、一人での生活が出来なくなってきた。

こんな状態なら死んだ方がいい。」て書いたんだよ。「バカ云ってんじゃないよ。死にたくても、死ねないでしょう。」

「まだ大丈夫だよ。口に包丁をくわえて切ればいいんだ。」「痛いからやめたほうがいいよ。」

「また、木下さんは、ハハハ」

「さて、どうゆう事なんだよ。」「自立支援法の改正で今まで2人の介護者を付けていたのが、1人しか認められなくなったんだ。

私に、1日中家に居ろって云うことですか?私だって人間です。1日中家に居るんなら施設と変わらないでしょう。」

「車椅子を押して出かけるなら1人でも大丈夫でしょう。」「何言ってんの。外に行けばトイレにも行くんですよ。今の私の状態では

一人の介護では無理だよ。」「なるほど、なるほど。よくわかるよ。」「じゃ〜区で横出しをするしかないね。」

「区長に手紙を出したら、区の人が来たよ。話にならないよ。と言うのは、トイレに行きたくなったら、人を呼べばいいなんて云うんだよ。」

「ダッタラそいつの携帯を聞いといて、トイレに行きたくなったら電話すればいいじゃない。」

「来る前に、お漏らししちゃうよ。ハハハ」「そりゃあそうだ」

1カ月38時間、この人にとっては、38時間の自由と人間としての生きる証の時間です。その時間を何故奪ってしまうのでしょうか?

今まで通りの生活をしようとすると、1ヶ月9万数千円のお金が出て行ってしまうのです。一年で100万円程度のお金です。

台東区には、このような状況に陥っている人が15人ぐらいいるそうです。その中で外出して2人の介護が必要な人は何人いるのでしょう。

全員元のような状態に戻しても、1,500万円のお金があれば、この人達は人間として1ヶ月38時間のゆとりがもてるのです。

部長さん・課長さん、1日でもいいから、いや、3時間でもいいからこの人と一緒に街を歩いてみたらどうでしょう。

この人の云っている事が理解できますよ。

本当に死ぬかもしれない。今の状況が続くなら。お金で買えない尊い命です。

最後に彼女はこう言いました。「足の手術をした人の見舞いに行ったんです。その人はイタイイタイといっていました。

大丈夫だよ、日にちがたてば痛さもなくなり歩けるようになるよ。でも私の心の中では、痛くったってなおるんだよ。

[でも私は、なおらない。」

一葉祭の華やかさ????????????。

 

2006/11/ 17

 

昨日は二の酉。さすがに寒さを感じるようになってきました。

三ノ輪駅のすぐ側に住んでいる私は、生まれたときから、酉の市の光景を見て育ちました。

私の、季節感にはなくてはならない、催し物です。

昔は、ゴリラ風船、唐辛子売り、がまの油売り、バナナの叩き売りのような、たんかばいがありました。

昨夜、ほろ酔い機嫌で夜店を見ながらぶらぶらしてみましたが、唐辛子売り以外は見当たらなくなりました。

NHKのテレビで、100年続いたお芋屋さん。今年で店じまい。こんなテーマで放送されたようです。

残念ながら私は見ていません。私が子供の頃から、酉の市になると、やつがしらって言ったと思いましが、

大きなお芋を56個串刺しにして売っていたのが思い出されます。

そのお芋屋さんに長だの列が出来ています。近所の話では、そのテレビ放映後会社の人にお芋を買ってきてと

頼まれる人もいるそうです。テレビの力ってすごいですね。

二の酉が過ぎれば本格的な冬の到来です。風邪をひかないように気をつけましょうね。

 

 

2006/11/ 12

 

一般質問を考えていると、いろんな事に遭遇します。今回のように、「総決起大会」と

同時進行になると、体で動かなければならない時と、頭を使うときがあるので疲れが倍になるときがあります。

一般質問を誰かに変わってもらおうという気持ちに、何するものぞとぶつかっているのが今の現状です。

街づくりの部分で何か質問をと考えていたら、「地籍調査」という言葉にぶつかりました。

皆さんもご存知のように土地の境界線の確定です。

そう云えば、新しく家を建てるときに、隣地との境界線の確定をして、いろいろな問題が起こります。

台東区は、地籍調査がどこまで進んでいるのでしょう?

国土調査事業十箇年計画が平成12523日に閣議決定されました。その前の段階では、

地籍調査の進捗率は、全国の調査対象面積に対し43%だったそうです。その内都市部は17%にとどまっています。

このデーターを見ると、台東区の状況もたいして変わりはないのではないかと思われます。

特に、明治時代の地租改正によってつくられ、戦争で消失した我が区の状況はもっとひどいのではないでしょうか。

こんな疑問にぶつかることもあるんですよ。

今回の一般質問の中に入れようかな?

 

2006/11/  5

11月4日〜5日まで箱根に行ってきました。妻の一番上のお姉さんの80歳を祝う
会です。
区の提携している旅館です。土曜の宿泊は、10,500円かな?
伊東と比べたら値段が高いですが、シーズンの箱根の土曜宿泊を考えれば安い値段で
しょう。
さすがに、旅館は満員でした。帰りの車の中で、妻が食べているソフトクリームを
狙っているべスです。

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さて、四定に向かって一般質問をボチボチ考えなくてはいけないと思い、幾つかの資
料を読んでいます。
中でも、面白いと思っているのか、「監査委員会の監査業務の拡充」と、「次世代育
成支援対策推進法に基づく、特定事業主行動計画」の行政の取り組み。
でも、監査委員会の質問は、出来るのかな?出来たとして誰が答えるのかな?調べて
みないと解らないですね。
次世代育成支援対策推進法が出来て、特定事業主には、この法律の施行を推進してい
かなくてはならないのだけれど、
中小零細企業がひしめく我が台東区において、行政がどこまでこの法律を推進してい
くのでしょう。
それじゃーなくても、区の職員に対しての風当たりが強いのに。
また、総括で質問した、「ドックラン」についても、進行状況を聞こうかな??
さあ、大変だ。11月29日の「総決起大会」もあるし。いそがしい、いそがしい。

 

2006/10/31

新台東病院の完成予定の模型が出来上がりました。3角形のような建物です。
チョッと、不満を言えばこの地にあっているんだろうかな?と疑問を感じます。
この病院の周りには、こんなにビルがあったんだろうか?????。

病院らしい建物なのかな〜。このビルの屋上のヘリに、瓦をひけば、なんとなく吉
原って云う感じになるんだろうな。

思い起こせば、十数年前、東京都が台東病院の廃止を打ち出しました。
地元の町会長を中心に存続運動が起こりましたが、残念なことに台東病院は廃院にな
りました。
でも、地元の熱い熱意は変わらずに、新病院の必要性を訴え続けていたのです。

その熱意に答えたのが、飯村区長でした。
皆様もご存知のように、台東区が病所数が過剰な地域です。台東病院の廃院で病院の
ベット数は無くなってしまうのが常識でした。
でも、区長と職員は一丸となってがんばったのです。当然地元もがんばりました。そ
の結果が新台東病院の建設につながったのです。

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ある議員が、地元で、「この新台東病院は、私の力でここまで来たんです。」と訴えたそうです。
すかさず地元の町会長が、「うそ言うな、この経緯を知らないでそんなこと言うな。」と怒ったそうです。

これから選挙が始まります。議員の皆さんこの地域で演説するときは気をつけましょうね。

 

2006/10/27

これナ〜ニ。新一葉記念館だそうです。何でこんな建物にしちゃったんだろう?
そういえば、新5,000円札に一葉が決まったとき、旧一葉記念館の前である新聞記者が、「この建物はいいですね。
来館者が増えると、新しく建てなおす事になるんでしょう。そうなったら近代的な建物になっちゃうんでしょうね。」
なんて話していた。その通りになりました。「二天門の消防署の設計者と同じですか?」なんて質問が出ましたよ。
竜泉の地にどこかのアートギャラリィーがそびえ建っているという感じですね。

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初めて写真で見たときに、「何でこんなのにするんですか?これじゃ地元の人がOKを出さないでしょう。」と聞いたことがありました。

「地元の人はこれで良いといってます」「そう、それなら仕方ないね。」現物を見たら、地元に人は本当に良いんだろうか?
でも、出来上がっちゃったんだからしょうがないのかな?せめて、屋根に瓦をはわせれば良いのに。
台東区がオンリーワンの街づくりをするならば、どこにもあるような近代的な建物じゃあなくて、古いものを残す街づくりだと思うんだけれどナ。
伝法院通りの町並みを造って、一葉記念館はこれかね。バラバラな街づくりですね

 

2006/10/23

 

中越地震から2年が過ぎようとしています。テレビでは、まだ仮設住宅にいる人を取
り上げています。
あれから2年、私の「いっぽいっぽ」に掲載したのを再度見てみました。
中越地震がおきたとき、確か、東京でも地震があったように記憶しています。
「ただいま、中越地方に地震がありました。」という言葉がテレビから流れて数分後
に東京にも地震を感じた記憶があります。

私たちは、すぐに中越地震で被害に会われた方たちに、何かお役に立てればと、越後
湯沢から、入りました。
その時点ではまだ雪が降っておらず、これから雪が降ったらどうしようというときで
した。
仮設住宅を訪れたときには、初雪が降りました。地元にボランティアの人達に、「仮
設住宅を一軒一軒訪ねて励ましてください。」
「ただし、詐欺が横行していますので、名刺を出してからお願いします。」
こんな注意の後に、各仮設住宅を訪れました。初雪が降ったので、非難した家が大丈
夫かと、家に戻った人が多く、
仮設住宅は鍵がかかっている家だらけでした。

仮設住宅にいた人達は、一人暮らしの老人で車を持っていない人達でした。
「車が無いから、家を見に行くことが出来ないんだよ。」と寂しそうに話していたオ
バアチャンの話が思い出されます。
まだ、あの狭い仮設住宅に住んでいる人がいるという、テレビニュースは、2年前を
思い起こされます。

この時、病院にも行ってきました。病院の被害状況や、けが人に対する対応などを聞
き、中越地震が起こったとき、免震構造の病院の、
被害が無いことを知りました。この経験を生かし、台東病院の建設に対して、免震構
造を私たちは主張してきました。
その結果、この経験が、今建設に入った台東病院に生かせれることになったのです。

当時の視察状況が掲載されています

 

2006/10/20

 

今週は、地方ばっかり行っていたのでなんとなく忙しさを感じる週でした。

それにしても、迷惑メールの多い事に、頭を悩ませています。

23日パソコンを開けないと、迷惑メールが300通近く入っています。

本当に必要なメールが埋もれてしまいます。でも、多分迷惑メールを使っている人がいるんでしょう。

さて、選挙の日程も決まり、私の行動も選挙態勢に突入しています。

そこで、1129日水曜日、浅草ビューホテル4階飛翔の間において、「木下えつき総決起大会」を行うことになりました。

会費は、8,000円です。よろしければ参加していただくようよろしくお願いいたします。

べスのお墓参りを、掲載しました。見てください。

長野県飯田市喬木村にべスと一緒に行くのは確か3回目だと思います。

山深いところですが、べスが走り回るスペースが充分あります。

また、途中のドライブインでも犬と一緒にドライブをしている家族を多く見かけるようになりました。

ドライブインでも、犬を連れて遊ぶスペースをつくっています。

ある台東区の公園で、ゲートボールをしていた方たちと、犬の散歩をしていた方が喧嘩になったことがあります。

犬の散歩の時に、木に小をしていたのを注意したことが事の発端です。

注意された人は、今度はゲートボールの人達がうるさいと区に電話でクレームをつけます。

公園課はあわてて、ゲートボールを公園でしている人に言われたことを報告します。

そうすると、お互い同士の感情が高ぶり、おおもめになるようです。

本来、犬の散歩は朝の67時頃で、夜は、1920時頃だと思っていました。

この時間なら、ゲートボールと公園でぶつかるわけが無いのです。

しかし、公園で見ていたら、ゲートボールをしている10時から12時までの間でも、公園に犬を連れてくる人が多いのです。

ぼちぼち、ドックランを考える時期に来ているんじゃないですかね。公園課さん。

 

2006/10/12

北朝鮮が核実験を行ったと言う報道を聞きました。「何で、こんな馬鹿なことをするんだ。」

と言うのが最初に私が思ったことです。

その後に、もし東京に核爆弾が打ち込まれたらという恐怖感が漂いました。

しかし、アメリカ・ロシヤ・中国が核実験を行ったときそのような感情になったでしょうか?

いや、ならなかったのです。数年前中国が核実験をした後、中国を訪問しました。

その時、釣魚台で、中国の高官と話をしたことがあります。

中国の核実験に対する抗議でした。でもその内容は、自然破壊に関する抗議だったと記憶しています。

その時の、高官は、「中国を守るためには、核実験が必要なんです。」と答えたのを記憶しています。

北朝鮮を訪れたとき、国際空港である飛行場は、日本の飛行場では見ることも出来ない、粗末な飛行場でした。

トイレ事情と電力事情が悪いと言う印象でした。

私達の目には見えませんでしたが、その時点でも食糧事情は悪かったんだと思います。

国際空港の免税店では、品物が無く何も買うものがないのです。

同時期に北朝鮮を訪れた学生の一団がありました。

学生同士の交流で来たようです。その時の交流の中で、北朝鮮の学生から、「日本は何時攻めてくるんですか?」

と言う質問があったそうです。

私たちと政府高官の話の中にも、「今の意状況は、戦争状態と同じ状況です。」と言う言葉がありました。

私達の認識と多くの隔たりがあるんだと感じました。

2006/10/08

 

1999年11月11日。我が家にべスが来た日です。
父親が79歳、母親が74歳。二人が足腰を鍛えるための散歩に、犬を飼おうという
のがきっかけでした。
何人かの友人に、犬を飼いたいという話をしたところ、ちょうど5匹生まれた家が、
貰い手を捜していると言う話が舞い込みました。
「年寄りが散歩に一緒に連れて行くんだから、小さな犬がいいんだよ。」「犬のこと
はよく知らないけれど、確かゴールデンって言ってた。」
「俺もよく知らないけれど、部屋で飼うんだから大丈夫だよね。」「大丈夫だよ。」
こんな会話の中でもらうことが決まりました。

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ところが、初めて会ったときすでに5キロあったのです。「これじゃー、大人になっ
たら大きくなっちゃう。だめだね。」
「せっかく連れてきたんだから二、三日家においてよ。その後でだめなら他の人を探
すから。」
そして、自転車のかごに入れて我が家に連れて行きました。
最初の一日目は私の部屋に連れて行って一緒に寝たのですが。
べスも新しい家に来たのと母親とはなれたのでク〜ク〜寂しそうに泣きっぱなしでした。

その一日後に、母親が心筋梗塞をおこし入院。父親も肺炎をおこし入院と言うことが
起こりました。
両親の散歩のためにもらったべスの役割がなくなってしまいました。
べスも家の状態がなんとなく騒がしいので不安が募る一方だったと思います。

父も母も退院してから、べスを溺愛すること、家族もびっくりするほどです。
ある日、父の様子がおかしくなりました。救急車で病院に運んで、MRAを取ったとた
ん、ボケ症状が起こったのです。
診断の結果は、硬膜化出血でした。
驚いたのは、家族がまったくわからない状態なのにべスの名前だけはわかっているのです。
病室で、「べスはどうした。べスはどうした。」の繰り返しです。
病室に連れて行くことが出来ないので、病院の外に連れて行き、父親をそこまで車椅
子で連れて行きました。
車椅子を見ると「ワンワン」吠えるべスが、父親を見ると車椅子座っている父親の足
に手をのせて顔をなめようとするのです。

父も「べス・べス」と言いながら頭をなぜているんです。
その後、父も退院して我が家で看病することにしました。
痴呆が入っている父にとって最高の介護人です

 

2006/10/03

恥ずかしいですね。前回と前々回のひとりごとを読んだら、誤字脱字の多いこと。

今更何を言ってるんだと言われそうですね。

弁解すると、ひとりごとは思いついたままをいっきに書くので読み返しをしません。

読み返しをすると、はじめの思ったことと違ってしまうと考えているのです。

まあ、言い訳はこの辺にしときましょう。

10月3日の区民クラブの会合で、区長候補が決定しました。

その人は、中山ひろゆき君です。

正式には、10月10日に浅草ビューホテルで行われる記者会見で表明します。

政治センスがいい青年です。

昨日、決算委員会に向かう各会派の基本質問が行われました。

傍聴してみましたが、基本質問の意味がわかっていない会派がありました。

まことに、残念です。

この基本質問をベースに、どのような審議になるのか期待していますが、

今までの経験からすると、基本質問は基本質問。審議は審議と言う感じですね。

 


2006/10/03

 

昨日、企画総務委員会が開会されました。さすがに論客揃いの委員会だけあって、

午前10時から午後5時30分までの長丁場の委員会でした。

私は、区長停案の個別監査の条例案に対して、採決に参加することを拒みました。

基本的には、保育園の個別監査に対しては問題がないと考えていますが、提案の仕方に問題があると思っているからです。

住民階差請求による、「上野地下駐車場」の監査請求が、動いている状況を知りながら、

この時期に提案することへの疑問です。百歩譲ってこの提案の仕方を認めたとしても、それならば、

同じ土俵に乗せて審議するべきだと考えています。

もちろん、住民監査請求の手続きから行くと、最終本会議に上程されるので手続き的に無理があるのは承知しています。

しかし、予算で個別監査費を1件分提案しているのであれば、どっしり構えて受けてたつべきだと思います。

住民からの監査請求をどう扱うか議会がこれから決めることです。

10月27日に向かっていろいろな動きが起こりそうです。

不思議なことが起こりました。理事者からの提案が「無かったことにしよう。」と言う結論が起こりました。

その提案は、一階の住民票等を受け付けている窓口の上に、お知らせ等を流すテレビボードをつけようとする提案です。

何故こんなことでもめるの?と思うでしょうが、問題はこの費用でした。

内々に570万円かかるという話が飛び交いました。何故、2個のボードをするのにそんなにかかるのか?

そんな安易な見積もりならば、この提案は認めるわけにはいかない。

ところが、質問に入ったら、理事者からの答弁は300万円でそのお金の出所は、かき集めたものです。

冗談じゃないよ。こんないい加減なことは認められないよ。

でも、チョッと寂しいね。課長の答弁がいい加減なら、部長が助けなくちゃ。

昔は、そんな部長がいたね。

2006/10/02

土曜日の日に、東泉小学校の運動会が行われました。野田沢教育長の話によると、
今日台東区内の6つの学校で、
運動会が行われているそうです。(私は、野田沢教育長が帰った後で、町会長から聞
いた話です。)
この席で、町会長や顧問の方々から、飲酒運転で捕まった先生の話題が出ました。
出るわけです。事故を起こした現場は、学区域内ですから。
話の主題は、「あの先生どうなるの?」です。

そんな話と裏腹に、みんな元気に運動会を楽しんでいました。狭い運動場の隣と公園
まだ使って、家族団らんの運動会でした。
その後、友人の和歌乃山の引退相撲に両国国技館まで行ってきました。

  
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彼は、現役時代糖尿病をわずらい、低迷し引退まで考えたけれど、その後体を精進し
て、小結まで上り詰めた、
よく言う地獄を見て這い上がった関取です。
相撲甚句で、彼の相撲人生を語り、十両の取り組み後、断髪式です。
土俵には、百数十人の方々が上り、髷にはさみを入れていました。
最後に、親方が土俵に上り、髷をすべて取り除き、断髪式は終了です。
その後、幕力士の取り組みがあり、すべてが終了します。

何か、さっぱりした引退式でした。そんな感じを私が抱いたのは多分、和歌乃山自身
が、相撲人生に悔い無しと見えたのでしょう。
第二の人生での活躍を心から祈ります。
「和歌乃山〜」「和歌乃山、がんばれ」